- 2021-3-21
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★★ノルトハウゼン Nordhausen -4-からの続きです
旧市庁舎 Altes Rathausです。新市庁舎 Neues Rathausはその向かい側に建っているのですが、特段の特徴がある訳でもない建物なので写真を撮り忘れました(笑) 旧市庁舎に向かって左端には「ローランド」の像が立っています。(この写真ではトラックの陰に隠れています。)あのタレント?のローランドは、まさかこれにあやかったんじゃないだろうな?(笑)
独語 Wikipediaには「ノルトハウゼンの旧市庁舎は、1608年から 1610年にかけてルネッサンス様式で建てられました。ノルトハウゼンに市庁舎が建設されたことが初めて文献に記載されたのは 1360年のことで、1562年には市庁舎の修理が必要となり、1608年から 1610年にかけて大規模な改築が行われました。開放的だったアーケードは、いくつかの商人の倉庫として使われており、1883年に窓が設けられました。1945年のノルトハウゼン空襲では、市庁舎の大部分が焼失し、1952年に再建されました。
東側入口の上にある石製の紋章プレートには、410年にローマ皇帝テオドシウス 2世が町を創設したという伝説がラテン語で刻まれています。1524年、町議会が勅令を導入してノルトハウゼンのすべての教会の守護神となり、宗教改革が導入されました。市庁舎の前には、自由、権力、管轄権の象徴であるノルトハウゼン・ローランドのコピーが立っています。1717年に作られたオリジナルは、1936/37年に建てられた新庁舎のロビーにあります。」と書かれています。
内容は全く覚えていませんが、小学生のころ少年少女世界文学全集に、アーサー王物語なんかの巻に「ローランの歌」(日本語解説)というのがありました。フランス語が原語なので、最後の dが発音されず、書いたら Rolandだったんだろうということは想像できます。ドイツで有名どころとしては、ブレーメンの市庁舎の広場に「ローランドの石像」があります。その気なって調べれば結構あちこちに存在しているようです。
独語 Wikipediaによれば「ローランドは、素手の剣(処刑人の剣)を持った騎士の像で、都市権の象徴とされています。そのため、ローランドの像は、市場の広場や市庁舎の前に立っており、特に北ドイツや東ドイツの都市で多く見られます。このほか、中欧のクロアチアやラトビアにも像があり、ブラジルやアメリカにもレプリカがあります。ローランドの彫像はほとんどが砂岩でできています。」とあります。
またその意味合いとして「中世には、市民の自由の証として多くの町にローランドが建立されました(「ローランドシュタット」)。ローランドの姿は、市場権や独自の管轄権を持つ町の独立性、つまり自由の象徴とされました。建立の理由は他にもあります。例えば、ブランデンブルグ・ローランドは、町の経済的繁栄の表現でもありました。
「ローランの歌」で有名になったローランの姿は、中世では民衆の英雄としての地位を確立していました。その名声は、カール大帝の下でブルトン辺境伯爵となったフルオットランドの運命にまで遡ります。ローランドは、778年 8月 15日、ピレネー山脈のロンセスヴァレスの谷でワスコン(「ルプス」伯爵率いるバスク人)との後衛戦に敗れたとされています。このことは、シャルルマーニュ伝「Vita Caroli Magni」の中で 2行に渡って簡単に言及されています。これが「ローランの歌」の起源です。
後にローランドは、教会の支配に対するカウンターシンボルとしても機能しました。しかし、南ヨーロッパを中心とした最古のローランド像は、キリスト教の影響を強く受けていました。ローランドは主にザクセン法が適用される場所に立っていました。
ローランドと明示された像に加えて、同じようなデザインの騎士像が、都市の自由を守る、あるいは少なくとも市民が主張するシンボルとして登場した。例えば、トリアのシュタイプにあるいわゆる「巨人」です。」とあります。
★★ノルトハウゼン Nordhausen -6- に続きます