誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(27):クヴェートリンブルク Quedlinburg -10-

クヴェートリンブルク Quedlinburg -9- からの続きです

ここまで紹介できなかった写真や YouTubeなどでこの項を締めようと思います。あまり纏まりのない記事になりそうですがご容赦を(笑)

↓↓ この日は昼間は仕事でハノーファーに行き、夜に帰ってきて Brauerei Lüddeで閉店まで吞んだ後、ホテルに帰る道の風景を撮ったものです。酩酊徘徊はしないで、概ね真っすぐ帰ったと思います。(笑)

↓↓ Stiftskirche St. Servatiiに西日が当たる夕暮れです。ただ夏時間の5月だったので、これでも午後9時ごろだったと思います。そうだ、この後 Brauerei Lüddeに夕食+呑みに行って閉店まで居たんだった(笑)

Straße der Romanikは、紛らわしいですが Romantische Straßeとは別物です。

「ロマネスク街道は、ドイツのザクセン・アンハルト州を休暇旅行のルートとして走っています。ロマネスク街道は、ドイツ(ザクセン・アンハルト州、テューリンゲン州)、フランス、イタリア、オーストリア、ポルトガル、セルビア、スロバキア、スペインを巡る「トランスロマニカ」の一部です。 2006年、トランスロマニカは欧州評議会によってヨーロッパ文化街道に指定されました。」(独語 Wikipedia) 公式サイトはこちら

↓↓ Lindenbeinsche Villaで、今は Schlosshotel Zum Markgrafenとして使われています。

↓↓ 東西ドイツ統一後にかなりの資金を投入して、戦災を免れながらも、社会主義体制の中でひどく損傷した建物の修復が行われましたが、統一から三十年経った今でも、ところどころに廃墟は残っています。

「戦時中の大きな破壊はほとんどなかったが、ドイツ民主共和国の努力は、迫り来る旧市街の自然崩壊を止めるには不十分だった。トルン(Thorn)から来た経験豊富なポーランド人の修復家を使って、一部の家だけを修復することができた。1957年以来、St.Wipertiは修復され、1959年に再奉納(neugeweiht)された。1960年代のドイツ民主共和国の当初の計画では、歴史的な旧市街を完全に取り壊し、中央広場と社会主義的なプレハブ建築物に置き換えるというものだったが、資金不足のために失敗に終わった。プレハブ建築を歴史的条件に適合させる試みは、マルシュリンガー・ホーフの周辺、ノイエンドルフ、マルクトの北側にあるシュマーレン・シュトラーセで見られる。そのために、いわゆる Hallesche Monolithbauweise(HMB)を修正し、Hallesche Monolithbauweise Typ Quedlinburg(HMBQ)として実装した。ファッハヴェルクの建物が意図的に復元されるようになったのは、1990年の統一後のことである。」(独語 Wikipedia)

上の青字の部分にはなんとも恐ろしいことが書いてあります。資金不足だったから未遂に終わったものの、うっかり資金が有ったらこの町の建物は完全に破壊されて、安っぽい社会主義風の Plattenbauの建物に置き換わっていたかもしれないのです。そうでなくても、統一が無ければファッハベルクハウスは自然崩壊を免れなかったでしょう。ギリギリのタイミングでの東西統一だったと言えます。

↓↓ ドローンから撮影したもので、かなり高速で飛び回る忙しい動画ですが、町の様子を余すところなく撮影しています

↓↓ こちらは語学教育ビデオと思われ、2人の学生がゆっくりとガイドしてくれ、ドイツ語も分かり易いです。

↓↓ 最後に、主要な都市からの距離感と時間をご案内しておきます、

↓↓ クリックするとスライドショーになります。主要な都市を「朝9時に出たら・・・」という設定で DBアプリ(神アプリです!)で検索してみました。

クヴェートリンブルク Quedlinburg の項を終わります。
シリーズ:誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte に戻ります。

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