誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(87)★★★ マルヒン Malchin -6-

★★★ マルヒン Malchin -5- からの続きです

さて、主な見ものは見終えたような気がするので、何気ない横丁や店などを撮ったものを全部並べておきます。

お、こんなところにも富士フイルム!銀塩フイルムの時代ではなくなったので何を売っているんだろう?チェキかな?

Pflegeheim Malchin(特別養護老人ホーム・マルヒンみたいなもの)ですね。こういう「マグカップに写真をプリントする」みたいなサービスをやってるんですかね?こういうのはネットでオーダーするのが一般的と思うんですが・・・

ちょっとだけ人が写っていますね。外の席で何かを食べているようです。まあ、カメラを向けて撮るのはちょっとはばかられますが(笑)ちょっと分かりにくいかと思いますが、角の店は Kurt Ernstingという人物が創業した「Ernsting’s family」という子供服などを中心とした衣料品チェーン店ですが、数々の社会貢献をしていることでも知られています。

社会貢献と協力

✙✙ 長くなるので折りたたんでいます。展開するにはここをクリック下さい
ハーゲン大学との協力

エルンストングループは、教育・文化センターWBK Coesfeldを運営しており、この施設には、ハーゲン大学のコースフェルト支所も入っている。

2006年、2012年、2018年に、ハーゲン大学に3つの寄付講座が設立された。「現代社会診断のためのエルンスト一家財団教授職」、「家族生活形態、ネットワーク、コミュニティの社会学のためのエルンスト一家ジュニア財団教授職」 および「エルンスト一家財団寄付講座ミクロ社会学」(Ernsting’s family-Stiftungsprofessur für Mikrosoziologie)である。これらの資金は、EHG GmbH & Co. KGErnsting’s family GmbH & Co. KGの親会社)が5年間、それぞれ提供した。

寄付講座の任務には、関心のある市民に社会学の知識を伝えることも含まれている。この関連で、ハーゲン大学は2007年より、BürgerUniversität Coesfeld(コブスフェルト市民大学)の一環として、コブスフェルトで講義やセミナーを提供している。

社会貢献

エルンストの家族は、重病の子供や若者たちの特別な願いを叶えるための資金援助を行う非営利団体「Herzenswünsche e.V.」を支援している。この活動には、嚢胞性線維症を患う子供たちが数週間滞在する気候療法リゾートへの滞在も含まれている。定期的に発表されるチャリティー子供服コレクションの売り上げ、店舗内の募金箱、社内キャンペーンからの寄付金は毎年この団体に寄付されている。1992年の協会設立以来、この方法で400万ユーロ以上の寄付が提供されている。

エルンスト一家は2013年よりドイツスポーツバッジの全国スポンサーを務めており、この関連で、ドイツオリンピックスポーツ連盟が主催するスポーツバッジツアーを毎年支援している。

「キッズ・コーラス」プロジェクトでは、エルンティング家は2014年よりドイツとオーストリアの小学校の合唱団設立を支援している。プロジェクトのスポンサーはドイツのシンガーソングライターのアーサー・ホルヴァートである。

エルンティングの不動産株式会社エルンティング・ファミリー株式会社の関連会社)は、 KG社は、非営利の芸術文化財団であるエルンスト財団アルター・ホーフ・ヘルディングとともに、エルンスト家が経営する企業からの資金で建設された劇場兼コンサートホールであるコンサート・シアター・コーゼフドルフを運営している。

さらに、エルンスト家は、アフリカ産の持続可能な綿花の基準として認められている「コットン・メイド・イン・アフリカ」イニシアティブのパートナーでもある。

この本屋は恐らく旧東独時代からあるんでしょうね!「BÜCHER」という文字のロゴや雰囲気がいかにも東独時代そのままというのを感じさせます。

レストラン&ホテル・・・町に一軒のホテルですね、恐らくは。メニュー看板が出ていますが、この時期、旧西独はお約束のシュパーゲルはありません。価格も、セットで €5.8~€6.8とかなりお手軽です。このあたりがこの地域の物価水準を反映しているのでしょう。でも日本円では 1.000円見当ですけどね。

店の名前と思われる「Siegfried Mercus」に関しては最後に触れます。実はこの町出身で、大変な人物なんです!

向こうに町の入り口にある城門(Kalensches Torが見えています

カレンシェス門(Kalensches Tor)まで戻ってきました

さて先ほどのホテルにもプレートが取り付けられていた「Siegfried Marcusズィークフリード・マークス)」ですが、Ein Sohn unserer Stadtとあるように、この町出身の人で、自動車の発明の先駆者なのです。

え?ドイツで自動車の発明者といえばベンツとかダイムラーなのでは?黎明期の発明者は同時期にいろんな人がいろんな発明をしているので、どの人が明確な発明者と特定するのは難しい側面があります。この町で生まれ、主にオーストリアのウィーンで活躍した Marcusも間違いなくその一人です。ただ彼は様々な分野で数多くの特許も取得しましたが、自動車に関しては一度もその権利を主張したことがなく、また自動車の発明者と主張することも無かったようです。

加えてユダヤ人だったために「マルクスはユダヤ人であるため、ナチによってその記録が全て抹消された。ウィーン工科大学の前にあった記念碑も撤去された。戦後、記念碑は再建されている。1950年、第2マルクスカーに大幅な修復の手が加えられている。第二次世界大戦中、ドイツ宣伝省の指導により、ドイツの百科事典で自動車の発明者の名がマルクスからダイムラーやベンツに書き換えられた」・・・ということもあり、先駆者としての存在も功績も忘れられていたのです。

The town of Malchin/Stadt Malchin(7:00)

★★★ マルヒン Malchin の章を終ります

シリーズ:誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte に戻ります。

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