誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(64):★★アイゼンヒュッテンシュタット Eisenhüttenstadt -12-

★★アイゼンヒュッテンシュタット Eisenhüttenstadt -11- からの続きです

最後、旧市街の一角を巡り、駅に向かってひたすら歩きます。

ВЕЧНАЯ СЛАВА ГЕРОЯМ- МОРЯКАМ КРАСНОЗНАМЕННОЙ ОРДЕНА УШАКОВА ДНЕПРОВСКОЙ ФЛОТИЛИИ, ПАВШИМ В БОЯХ ЗА ЧЕСТЬ, СВОБОДУ И НЕЗАВИСИМОСТЬ СОВЕТСКОЙ РОДИНЫ. 17 АПРЕЛЯ 1945 ГОДА.
ЛЕЙТЕНАНТЫ:
ТКАЧЕВ И.Е.
ЛОСЕВ А.Д.
(以下略)

ソビエト祖国の名誉と自由と独立のための戦いで殉職したドニエプル船団のウシャコフ赤旗勲章の水兵たちに永遠の栄光を。
1945年4月17日
中尉: トカチョフ I.E.
ロセフ A.D.
(以下略)

ここにもまた「例のもの」があります。石を積み上げたピラミッド型の塔そのものは最近のものではないようですが、碑文の銘版はかなり最近埋め込まれたもののように見えます。なんと、ここに埋葬されている兵士達ひとりひとりに関するロシアのサイトもあります。

聖ニコライ教会

プロテスタントの聖ニコライ教会は、ブランデンブルク州オーデル=シュプレー地区のアイゼンヒュッテンシュタット、フュルステンベルク(オーデル)地区にある後期ゴシック様式のレンガ造りの教会である。ベルリン=ブランデンブルク=シュレジエン・オーバーラウジッツ福音教会のオーデルラント=シュプレー教会区のアイゼンヒュッテンシュタット・プロテスタント聖ニコラス教会教区に属し、聖ニコライ教会アイゼンヒュッテンシュタットとしても知られている。オーデル川の西岸の高台にあり、フュルステンベルクの旧市街地のシルエットを際立たせている。

歴史と建築

重厚な後期ゴシック様式のレンガ造りの建物は、おそらく1370年以降に着工されたものと思われる。1945年の第二次世界大戦で、放火によりすべての調度品とともに破壊された。外観は1952年から1963年にかけて再建され、側廊が丸天井になった後、中断した。


内部の最終的な修復は、1992年の屋根の葺き替えに始まり、1999年までの身廊の丸天井化、塔の欄干の改修、教会堂の壁の改修などが行われた。再建は、2006年に教会の尖塔の銅製屋根の葺き替えをもって完了した。

教会は、構造的に精巧な回廊祭壇を持つ、煉瓦造りの 3廊 4廊の教会である。間取りは北側に非常に不規則にずれているが、これは建築可能な地盤に起因している。回廊祭壇は、身廊の端が 4面で、外側の端は 6面である。ゴシック後期の建築に遡り、1565年に、上部に豊かな装飾と面取りされた角を持つ増築を加え、石造りの尖塔を頂部に載せた。

プレス加工された楕円形の西門は比較的小さい。15世紀末から16世紀初頭にかけて、北側に2階建てのヴォールト天井の増築棟が建てられ、その中には聖具保管室と、下階に正面玄関、上階に北側通路に面した礼拝堂のある開放的な前庭があった。窪んだ外観を持つ教会内部は、高い丸い土台の上にある頑丈な八角形の柱(西側の一対の柱には欠けている)と、豊かな星の丸天井が特徴的である。丸天井の形は、ミッテンヴァルデやベルナウの教会に似ている。比較的幅の狭い尖ったアーチ型の窓は、ほとんどが二分割されており、教会内部を明るく照らしている。

なんと、まだ明るいのですが、これで 21:00です。いやあ、今日はよく歩いたなあ!これからフランクフルト・アン・デア・オーデル経由でベルリンに戻ります。

ここから下はオマケですが、凄い夕景に遭遇します。この世の終わりかという不気味感さえ漂う景色です。写真だけでもなかなかのものですが、たまたま動画も撮れましたのでご覧ください。

★★アイゼンヒュッテンシュタット Eisenhüttenstadt -13- に続きます

関連記事

ページ上部へ戻る