- 2024-2-24
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★★アイゼンヒュッテンシュタット Eisenhüttenstadt -10- からの続きです
さてここからはオーデル川に架かる橋を渡って、製鉄所やその労働者を住まわせるニュータウンの建設前から存在していたフュルステンベルク(Fürstenberg (Oder)) に向かいます。約1時間歩くことになりますが、駅はそちら側にあるので頑張ります(笑)Fürstenbergという地名はドイツのあちこちにあるので (Oder)と付いています。
↑↑ 30年以上前に来た時は午前中だったのか・・・Strasse der Repiblikと Karl-Marx-Strasseの交差点から市内中心方向を見るとこういう眺めで「社会主義様式」独特の広い通りと、入り口にある左右対処の門のような建物に感動したものですが、今回は夕方で西日が逆光になり、あまりいい写真が撮れません。↓↓
Plattenbauの廃墟があります。下の2枚の画像のソースはこちらにありますが、それによると 1980年代に立てられたホテル(Gästehaus)だったようです。「Straße der Republikと Karl-Marx-Straßeの 角に、これまで見てきた歴史的な家並みの中で、明らかに異彩を放つ建物を発見した。かつてのゲストハウスは、1980年代初頭に建てられた 6階建てのプレハブ建築だ」とあります。
市内にあった高級ホテル Hotel Lunikとは違って団体用とか FDJ(自由ドイツ青年団)などの研修に使用されたものであろうと想像します。1980年代というと東独の末期ですが、やはりその頃に建てられた建物は安普請で、需要が無くなればメンテして使用するより、放置されて廃墟化しがちです。
やはりこちら側は社会主義風の人工都市というニオイはなく、普通のドイツの町という雰囲気です。
ホテルがあります。朝飯無しで €75/泊かぁ~・・・微妙な値付けだなあ(笑)
Haus des Abschieds(お別れの家)・・・BESTATTUNGEN・・・葬儀屋ですね
これは、東独時代はお役所系の建物だったのではないかと想像します。中央にある丸い部分には東独のエンブレムがあったのではないでしょうか?例えば右の写真は Ludwigslustという町のとある建物で、東独時代はこういう感じでエンブレムがありました。統一後は取り外され丸い凹部が残っています。
ちなみにこの建物は、今は「Johann Wolfgang von Goethe Grundschule」という学校になっているようです。
サイトによれば:当校について
「本校はフュルステンベルク地区にある二部制の小学校です。校舎は 3棟あります。伝統的に、校舎はその配色にちなんで名付けられています。児童は 3つの学習ハウスで年齢別の授業を受けます。
2004年からは、5歳から 12歳までの児童を対象に、終日総合的なプログラムを実施しています。このプログラムは、学校と余暇活動を組み合わせたものです。子どもたち一人ひとりの長所と個別的な要求が中心となっています。硬直した学校構造を打破し、各プログラムを密接に関連付けることで、学習の機会を多く設けています。新しい教育コンセプトは、一人ひとりに合わせたサポートのための時間をより多く提供します。このような理由から、私たちの終日学校は 2012年からインクルーシブ小学校への道を歩んできました(2017年からはシェアード・ラーニングを導入した学校)。
2018年以降、私たちの小学校は、連邦政府と州政府から資金提供を受けた研究プロジェクト(LemaS-Leistung macht Schule)に参加し、成績優秀な生徒とその可能性のある生徒を支援しています。特に、診断に基づく生徒への読書支援に重点を置いています」とあります。
サイトの URLが「http://www.goethe-ganztagsschule.de/」とあることから、通常の学校の放課後も子供を預かってくれる Kindertagesstätte(Kindertagesheim(KITA))の機能も果たしていると想像されます。日本で言えば「学童」が併設されているということなのでしょう。
★★アイゼンヒュッテンシュタット Eisenhüttenstadt -12- に続きます