- 2020-8-24
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三十年前のドイツ(62):「まだ東独が「DDR」だった頃のあちらこちら -4- Waren(Müritz)」からの続きです。
リュプツ(Lübz) なんて、おそらく歴史上日本人が訪れた事は皆無、あったとしても一桁ではないかと思われるような、今日の人口規模でも 6,000人程度の小都市です。
Wikipediaを読んでみても、歴史上さしたる重要な役割を果たした都市というわけでもなさそうで・・・そういう意味では「私好みの小都市」と言えます(笑)。「誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte」でも拾っておきたい町ですね(笑)
右の写真は、下の航空写真の「1」のポジション(右手)の建物です。入り口の上に「Rathaus」、向かって左手にこの町の名前の「Lübz」と紋章である「舌を出した黒い雄牛の頭」が見えます。メクレンブルクの町はこの雄牛の頭のバリエーションが紋章になっているケースが多いです。
西独で「Rathaus」と呼ばれる「市・町議会の場所(市・町庁舎)」は、旧東独では「Rat der Gemeinde」と呼ばれていたはずで、この「Rauhaus」の表示も妙に新しく、つい最近塗り替えられたように見えます。
建物の壁に隣町「Parchim」を表すキリル文字が書いてあります。おそらく近くにあるワルシャワ条約機構軍基地のロシア人将校や兵士の為にキリル文字で書かれた地名標識なんだろうと思いました。それも煤煙や埃で消えそうになっています。
下の写真は、それから20年以上経った 2011年の画像(GoogleMapから)、更にその下は 2015年に撮られた写真で Wikipediaの Lübz(独語)ページに掲載されています。左側に見えるキリル文字は(左の 1990年の写真に写る黄色の標識でもわかる通り)「Plau」という地名を表しています。
この建物の「くすんだ土色の壁」は旧東独のスタンダードとも言えるくらい、当時はありふれたものでした。下の(2011年の)写真で、この建物の向こうの建物や、左手の建物群は綺麗にリノベーションされたように見えますが、ここだけは東独時代のままのように見えます。
その後 Lübzの名前を聞いたのは、ハンブルグ郊外のソーセージメーカー「hareico」から「Lübzer」というのが販売されていたのを見かけた時でした。
が、やはり「おっ」と思ったのはフランクフルト空港のJALのラウンジで「Lübzer Pils」を見かけた時でしょう。デンマークのビール・コンツェルンであるカールスバーグの傘下でもあるようです。
Wikipediaによれば、ここのビール醸造所の製品は旧東独時代から西独に輸出されており、 Spar, Aldi Süd や Penny-Markt (Wohlbauer Pils) 等のプライベートブランドとして流通していた様です。また東独では「缶ビールにする設備」を持っていた唯一の醸造所だったとのことです。
まだ統合前ですが、町名の「Rom」の下に「Kreis Parchim」と所属する郡の名前があり、更にその下は黄色いテープで隠したように見えます。おそらく「Bezirk Schwerin」と、東独の行政単位の名前が書かれていたと思われますが、東西統一されることが決まり、Bezirk(県と訳されることが多い)が廃止され、州(Land)が導入される流れから、新しい町名表示板が出来るまで、テープで急場をしのいだものと推察されます。
統一の日は10月3日と決まっていましたが、その日から新体制が機能する為には、行政組織の改編などは段取りを踏んでフライングで進める必要がある筈で、これはそういう過渡期の一断面のようです。
下のガソリンスタンドを撮った2枚の写真は別のところでも紹介していますが、パルヒムの近くで撮影したもの思います。パルヒム市内にも行ったはずですが、残念ながら写真は残っていません。
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