三十年前のドイツ(63):東独がまだ「DDR」だった頃のあちらこちら -5- Lübz

三十年前のドイツ(62):「まだ東独が「DDR」だった頃のあちらこちら -4- Waren(Müritz)」からの続きです。

リュプツ(Lübz) なんて、おそらく歴史上日本人が訪れた事は皆無、あったとしても一桁ではないかと思われるような、今日の人口規模でも 6,000人程度の小都市です。

Wikipediaを読んでみても、歴史上さしたる重要な役割を果たした都市というわけでもなさそうで・・・そういう意味では「私好みの小都市」と言えます(笑)。「誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte」でも拾っておきたい町ですね(笑)

右の写真は、下の航空写真の「1」のポジション(右手)の建物です。入り口の上に「Rathaus」、向かって左手にこの町の名前の「Lübz」と紋章である「舌を出した黒い雄牛の頭」が見えます。メクレンブルクの町はこの雄牛の頭のバリエーションが紋章になっているケースが多いです。

西独で「Rathaus」と呼ばれる「市・町議会の場所(市・町庁舎)」は、旧東独では「Rat der Gemeinde」と呼ばれていたはずで、この「Rauhaus」の表示も妙に新しく、つい最近塗り替えられたように見えます。


統一までもうあと3か月という時点で、フライングして「Rat der Gemeinde」を「Rathaus」に改称したのでしょうか?

上の航空写真の「1」のポジションから撮った写真です。

航空写真の「2」のポジションから撮っています

航空写真の「3」のポジションから撮った写真です。右手の「kontakt」、左手の「K(Konsum)」はいずれも東独国営の小売店チェーンです。


左の写真は 1990年の 7月に私が航空写真の「4」のポジションから、「3」とは向きを変えて撮ったものです。

建物の壁に隣町「Parchim」を表すキリル文字が書いてあります。おそらく近くにあるワルシャワ条約機構軍基地のロシア人将校や兵士の為にキリル文字で書かれた地名標識なんだろうと思いました。それも煤煙や埃で消えそうになっています。

下の写真は、それから20年以上経った 2011年の画像(GoogleMapから)、更にその下は 2015年に撮られた写真で Wikipediaの Lübz(独語)ページに掲載されています。左側に見えるキリル文字は(左の 1990年の写真に写る黄色の標識でもわかる通り)「Plau」という地名を表しています。

この建物の「くすんだ土色の壁」は旧東独のスタンダードとも言えるくらい、当時はありふれたものでした。下の(2011年の)写真で、この建物の向こうの建物や、左手の建物群は綺麗にリノベーションされたように見えますが、ここだけは東独時代のままのように見えます。

推測ですが、この建物は旧東独時代の記憶を留める為、敢えて当時のままのいでたちで保存されているのではないでしょうか?

Russischer Wegweiser in Lübz.JPGCC BY-SA 3.0 Wikipedia, Link

Lübzer-Logo.svg
By Source, Fair use, Link

その後 Lübzの名前を聞いたのは、ハンブルグ郊外のソーセージメーカー「hareico」から「Lübzer」というのが販売されていたのを見かけた時でした。

が、やはり「おっ」と思ったのはフランクフルト空港のJALのラウンジで「Lübzer Pils」を見かけた時でしょう。デンマークのビール・コンツェルンであるカールスバーグの傘下でもあるようです。

Wikipediaによれば、ここのビール醸造所の製品は旧東独時代から西独に輸出されており、 Spar, Aldi Süd や Penny-Markt (Wohlbauer Pils) 等のプライベートブランドとして流通していた様です。また東独では「缶ビールにする設備」を持っていた唯一の醸造所だったとのことです。


さて、リュプツを出てパルヒムに向かう途上に「ロム:Rom」という小さな集落があります。へぇ、こんなところに「ローマ」があると、車を停めて町名表示板を撮りました。

まだ統合前ですが、町名の「Rom」の下に「Kreis Parchim」と所属する郡の名前があり、更にその下は黄色いテープで隠したように見えます。おそらく「Bezirk Schwerin」と、東独の行政単位の名前が書かれていたと思われますが、東西統一されることが決まり、Bezirk(県と訳されることが多い)が廃止され、州(Land)が導入される流れから、新しい町名表示板が出来るまで、テープで急場をしのいだものと推察されます。

統一の日は10月3日と決まっていましたが、その日から新体制が機能する為には、行政組織の改編などは段取りを踏んでフライングで進める必要がある筈で、これはそういう過渡期の一断面のようです。

下のガソリンスタンドを撮った2枚の写真は別のところでも紹介していますが、パルヒムの近くで撮影したもの思います。パルヒム市内にも行ったはずですが、残念ながら写真は残っていません。

ガソリンスタンドです。トラバントとヴァルトブルクが行列しています。トラバント(通称トラビ)あちこちで語りつくされていますが、2気筒エンジンの独特の音・混合ガソリンの排気ガスのニオイ・段ボールとプラスチックを混ぜて整形した車体・・・どう考えても独特でしたね!国境近くでこの渋滞に巻き込まれることも何度もありましたが・・・ちょっとしたトラウマです(笑)

前が鋼鉄製車体のヴァルトブルク、後ろがトラバント。給油機に「NORMAL」とありますが、混合ガソリンがノーマル・標準だったということでしょうか

三十年前のドイツ(64):東独がまだ「DDR」だった頃のあちらこちら -6- Elbfähre に続きます

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