三十年前のドイツ(45):Erste Einreise in die DDR 初めての東独への入国 -6-

三十年前のドイツ(44):Erste Einreise in der DDR 初めての東独への入国 ー5-からの続きです。

さて、初めての東独潜入…ん?ちゃんとビザ取ったんだから、潜入ではないか(笑)…充実した一日を終えてリューネブルクに戻ることにします。

いやあ、カルチャーショックだったなあ!上手く伝えられたかどうか、イマイチ自信はないんですが…トラバントの2気筒混合ガソリンのエンジン音と排気ガスのニオイ!補修するための資金や資材が不足して外壁が荒れ廃墟化が進む建物、同じドイツで政治と経済の運営の差でこうことになってしまうのか・・・でも、そこにはちゃんと人の生活があって・・・

この時から三十年経った今、旧東独の地方の町の外観は見違えるほどきれいになったのに・・・それと引き換えに「活気」を失ってしまったように思えます。昼間なのに、外出規制もかかっていないのに人が歩いていない、子供の声がしない、レストランは中東系が多い・・・ただ、まだこの時はそんな将来を見通すことは出来ていませんでした。

ガソリンスタンドです。トラバントとヴァルトブルクが行列しています。トラバント(通称トラビ)あちこちで語りつくされていますが、2気筒エンジンの独特の音・混合ガソリンの排気ガスのニオイ・段ボールとプラスチックを混ぜて整形した車体・・・どう考えても独特でしたね!国境近くでこの渋滞に巻き込まれることも何度もありましたが・・・ちょっとしたトラウマです(笑)

前が鋼鉄製車体のヴァルトブルク、後ろがトラバント。給油機に「NORMAL」とありますが、混合ガソリンがノーマル・標準だったということでしょうか

Konsum(K)が経営するカフェ、HOが経営する居酒屋ですが、いずれも人気(ひとけ)が無く営業していないようです。看板も既にかなり傷んでいます。まだ国境が開いて半年なわけですが、この半年で傷んだものではなく、もうかなり前から補修されていなかったと見えます。とすると・・・営業を停止したのはこの半年以内だとしても、このボロボロの状態で半年前あるいはつい最近までは営業していたのかもしれません。

Konsum DDR.svg

Logo

ちなみに上の写真は今回のドライブではなく、ずっと後の 1998年にブランデンブルク州でもかなりポーランド国境に近いところにあるアンガーミュンデ(Angermünde)で撮った元HOの居酒屋レストランですが、この状態でもまだ営業していました。

流石に 2016年に再訪した時には右の写真の様に、ドアや窓にベニヤ板が打ち付けられて廃業していたのが明らかでした。

旧東独の小売りチェーンの HOや KONSUMは、そこで売るものの仕入れルートも旧体制に根差していた訳ですが、それとは全く異なる高品質物品を扱う西側の小売りチェーンの進出と提携できたり、そこに上手く繋がることができた居酒屋・レストランなどは生き残れたのでしょうが、そうでなかったところは消えて行った・・・そんな淘汰が起こり始めていた時期だったのかもしれません。


Zarrentinの近くですが、馬がちゃんと働いていました!

国境の手前5kmのところに設置されていた検問所です。

右上の方、金網の少し向こうに Kontrollpunkt zum Schutzstreifenという検問所が見えますが、西独側から見える金網の5kmほど向こうにもう一つフェンスがあり、東独市民は原則としてそこまでしか来られなかったのです。その5kmの幅の中に住居が有った人達は強制的に移住させられたりしました。ただ農家など例外的に残って暮らしている人達もいて、そこを訪問するには特別の許可が要り、ここの検問所を通過する必要がありました。無用の長物となってしまったサーチライトが所在なさげです。

Zarrentinから最後の一区間だけ Autobahn 24号線に乗り、東側の検問所から出てきたところです。Autobahnで西ベルリンに車で行く際には必ずここを通るわけで、かつてはパスポートをベルトコンベアに乗せ、手続きをしてもらう間に、トランクを開けさせられたり、鏡を車体の下に差しまれて調べられたり、それを銃を持った警備兵が見ていたり・・・と、緊張感一杯の場所でした。左手の建物の最上階、金色のハーフミラーの見張り台の中から全体を監視しており、怪しい動きをする車があればスイッチ一つで道路を封鎖する仕組みもありました。
もう何もありません!めでたし、めでたし!(笑)

三十年前のドイツ(46):Erste Rundfahrt in der DDR 初めての東独の周遊ドライブ ー1-に続きます。

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