三十年前のドイツ(44):Erste Einreise in die DDR 初めての東独への入国 -5-

三十年前のドイツ(43):Erste Einreise in der DDR 初めての東独への入国 ー4-からの続きです。

Schloß Straßeの終点は Schloßplatz、勿論そこにはお城があります・・・まあ、普通はそうか(笑)

くだんのお城です。入り口の青黄赤の三色旗が見えますが「Großherzogtüm Mecklenburg」(独語Wiki日本語Wiki)の旗と思われます。お城の中に入ってみました。まだ統一前の東独時代、内装の補修も完璧とは言い難い状況だった記憶があります。西側のお城は維持メンテがしっかりなされて重要な観光資源となっていますが、ここは補修と言ってもベニヤ板にペンキを塗って崩れた壁を覆い隠すとか、壁画の修復も素人画家がなけなしの絵の具で描いた・・・みたいな残念な状況でした。

独語 Wikipediaで「Schloß Ludwigslust」を調べてみると、こういうことが書いてあります。

…Die herzogliche Familie bewohnte Ludwigslust bis zum Ende des Zweiten Weltkriegs, das Schlossgebäude überstand die Kriegszeit ohne bauliche Schäden. Das bei Kriegsende zunächst von westalliierten Truppen besetzte Ludwigslust entging zudem den Verwüstungen, die zahlreiche Schloss- und Herrenhausanlagen im Osten Deutschlands durch die Rote Armee widerfuhren. Dennoch gingen Teile der beweglichen Ausstattung in der Folgezeit durch Plünderung und Vernachlässigung verloren.
…公爵一家は第二次世界大戦が終わるまでルードヴィッヒスルストに住んでいた。城の建物は構造的な損傷なしに戦争を生き延びた。戦争の終わりに西部連合軍が最初に占領していたルートヴィヒスルストは、赤軍が東ドイツの数多くの城と荘園の複合体に引き起こした荒廃を免れた。それにもかかわらず、その後、略奪と無視(放置)のために、移動可能な家具や装飾物の一部は失われた。(Google翻訳を微修正・・・Google翻訳、レベル上がりましたね~!)

Vom Verwaltungsbau zum Schlossmuseum

In den ersten Nachkriegsjahren beherbergte das Schloss die örtliche Kommandantur der Roten Armee. Die herzogliche Familie wurde bei der Bodenreform 1947 enteignet und das Schloss schließlich vom Kreis Ludwigslust übernommen. Anfängliche Pläne, in dem Bauwerk ein Museum einzurichten, wurden nicht weiter verfolgt; die bis dahin im Schloss verbliebenen Kunstschätze gelangten teilweise nach Schwerin oder wurden im Schloss eingelagert. Die einstige herzogliche Residenz diente in der DDR-Zeit als Sitz der Kreisbehörden; in die historischen Innenräume zogen für mehrere Jahrzehnte Staatsorgane der DDR ein.

Bundesarchiv Bild 183-19000-4016, Ludwigslust, Schlittschuhlaufen vor dem Schloß..jpg
Von Bundesarchiv, Bild 183-19000-4016 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, Link

Das Schloss in der Nachkriegszeit, Fotografie von 1949

戦後の初期には、城には地元赤軍の指揮官が住んでいた。1947年の土地改革の間に公爵家は資産を没収され、城は最終的にルートヴィヒスルスト郡に引き継がれた。建物内に博物館を設置するという当初の計画はこれ以上進められなかった。それまで城に残っていた美術品のいくつかは、それまでシュヴェリンに移されたか、城に保管されていた。かつての公爵の館は、東ドイツ時代に地区当局の居所となった。東ドイツの国家機関は数十年にわたって歴史的な館の部屋に引っ越してきた。

Im Jahr 1986 wurden das Schloss und die Gartenanlagen unter die Verwaltung des Staatlichen Museums Schwerin gestellt und größere Maßnahmen zur Bausicherung vorgenommen, sowie erstmals wieder Räume für die Öffentlichkeit zur Besichtigung freigegeben. Das Schloss wurde zum Museum für höfische Kunst und Wohnkultur. Die Kreisverwaltung blieb bis 1991 im Schloss, seitdem wurde es schrittweise einer musealen Nutzung zugeführt und in Abschnitten bis Ende 2015 saniert.
1986年、城と庭園はシュヴェリーン州立博物館の管理下に置かれ、主要な建物の保護対策が講じられ、部屋が初めて一般に公開されました。城は宮廷芸術と室内装飾の博物館になりました。地方行政府は1991年まで城に残り、それ以来、博物館の目的で徐々に使用されはじめ、セクションは2015年末まで改装された。

ということで、私が訪問した 1990年 4月時点ではまだ地方の行政機関も中にいたんですね。博物館になる過渡期、修復も途上ということだったのでしょう。

しかし、一方この時点ではまだ東独(DDR)だったわけで、その行政機関が入っている建物の玄関にかつての領邦国家「Großherzogtüm Mecklenburg」の旗が掲げられる・・・なにかそこに意志や意図を感じてしまうというのは考えすぎでしょうか?

Flagge Großherzogtümer Mecklenburg.svg
Von David LiuzzoEigenes Werk

さてこの頃はまだデジカメが普及しておらずフィルムカメラだったため、ワンショットを撮るにもフィルムの残コマ数や、予備のフィルムを持参しているかどうかを気にしながらカットを考えて撮っていました。そのためでしょうか、お城を撮った写真は最初の一枚だけです。というわけで、その後ここには2度訪問しているので、その時に撮った写真を何枚か貼っておきます。

また、別のシリーズ「誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte」で、近々こちらの領邦国家の町をご紹介するなかで、再度歴史も含めて深掘りをしていくつもりです。


iPhoneで自分が回りながら撮影したパノラマ写真


三十年前のドイツ(45):Erste Einreise in die DDR 初めての東独への入国 ー6-に続きます。

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