誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(54):★★★ツェアプスト Zerbst / Anhalt -11-

★★★ツェアプスト Zerbst / Anhalt -10- からの続きです

最後に大物のテーマで、ここアンハルト=ツェルプスト家出身のロシア帝国「女帝エカチェリーナ2世」に触れておくことにします。高校の世界史は現代史まではカバーしないことが多く、私もロシア革命やロマノフ王朝の滅亡を学校で習った記憶は無いのですが、やはりそのあたりの事情やドイツとの関わりなどを理解しておくことは大事なことでしょう。自分の勉強もかねて Wikipediaの情報を整理しておこうと思います。

「万世一系」という皇室神話を刷り込まれた日本人的感覚からは理解し辛いと思いますが、 Nationalstaat(国民国家)という概念が現れ定着する以前の中世・近世の欧州では、領土は「家系」に所属する(あるいは神聖ローマ帝国皇帝から封土として授けられた)ものであり、その婚姻関係によって相続されていったものでした。

ロマノフ王朝というと、レーニンらによるロシア革命によって家系断絶された悲劇の「ロシア人の王朝」という印象がありますが、下の家系図で「10.エリザベータ(女帝)」の次に皇帝となる「11.ピョートル3世」とその妻となる「12.エカチェリーナ2世」はいずれも、今日のドイツ領生まれで、ドイツ語を母語とする(今日的感覚からは)ドイツ人・・・誤解を承知で申せば「ドイツ人(系)の王朝」だったのです。

日本語 Wikipediaにも「王家はロマノフ家からドイツ貴族のホルシュタイン=ゴットルプ家に男系が移っており、ピョートル3世以降はホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ王朝と呼ぶのが正しい」とあります。へぇ~、そうだったんだ!

こういう家系図を見るとアタマが痛くなりがちですが、本件はさほどゴチャゴチャはしていません。ラッキー(笑)

まず、1613年にミハイル・ロマノフロシア・ツァーリ国のツァーリに即位して成立したロマノフ王朝は、1721年に「4.5 ピョートル1世」がロシア帝国と改名しその皇帝に就きますが、その後男系の皇帝は彼の娘である「10.エリザベータ」で途絶えます。

エリザベータは独身で子供がいなかったため、ホルシュタイン=ゴットルプ家のカール・フリードリヒ公に嫁いでいた姉のアンナの息子「カール・ペーター・ウルリヒ」を養子に迎えます。

いかにもドイツ人の名前ですね。このカール・ペーター・ウルリヒが後に「11.ピョートル3世」となるのです。

Schleswigの Gottorf城 ピョートルとエカチェリーナの両方に縁があります。

一方、彼と結婚して、将来のエカチェリーナ2世となる女性は、神聖ローマ帝国領邦国家のアンハルト=ツェルプスト候クリアスティアン・アウグスト(プロイセン軍少将)の娘として、現ポーランド領のシュテティンで生まれ、ゾフィー・アウグステ・フリーデリケ(のちにロシア名エカチェリーナ・アレクセーエヴナと改名)と名付けられました。

母親のヨハンナ・エリーザベトはホルシュタイン=ゴットルプ家の出身・・・ということは二人はそもそも遠縁の親戚だったわけですね。

とはいえ本来、家柄的にはとても大国の后妃候補に挙がる身分ではなかったところ、母ヨハンナの早世した長兄カール・アウグストがロシア女帝エリザヴェータ・ペトロヴナ(「10.エリザベータ」)の若かりし頃の婚約者であった縁もあり、ゾフィーは14歳でロシア皇太子妃候補となった・・・とのことです。

また、エリザヴェータ女帝の甥(姉アンナの息子)で後継者と定められたカール・ペーター・ウルリヒは父カール・フリードリヒが、ゾフィー・アウグステ・フリーデリケの母ヨハンナ・エリーザベトの同族の従兄であり、この頃行われたロシア・スウェーデン戦争の結果、スウェーデンがロシアの干渉を受けて彼女の次兄アドルフ・フレドリクを王位継承者に据えたことで、娘の政治的価値がにわかに高まったためでもある・・・とのことです。

当時プロイセンはオーストリアと係争中でロシアとの友好関係を欲しており、プロイセンのフリードリヒ2世はロシア宮廷内の親プロイセン派とともにこの縁組を精力的に推し進めた。ヨハンナ・エリーザベトもなかなか野心的な人物で、縁組の成立に力を尽くしたが、クリスティアン・アウグストはルター派の信仰篤い人物で、娘のロシア正教への改宗に抵抗があったため乗り気でなかった。しかし妻に説き伏せられ、主家の意向とあっては致し方なく、1743年冬、妻と娘をサンクトペテルブルクに送り出した。1744年の娘の結婚式に、彼は参加することを許されなかった・・・と、Wikipediaにあります。

二人の結婚は不幸なもので、夫婦関係は破綻しており、また数々の奇行やプロイセンに心酔していたピョートル3世はロシア人に嫌われ、ロシア語を習得しロシアに溶け込もうと努力したエカチェリーナ・・・最終的にはエカチェリーナがクーデターを起こし。即位後半年でピョートル3歳を廃位して「12.エカチェリーナ2世」として即位します。


その後の彼女の状況についてはこちらをご覧ください。また、夫婦仲は破綻していたとはいえ、二人の間にできた息子が「13.パーヴェル1世」を名乗る後継者となりロマノフ王朝を継ぎます。そこから最後の皇帝ニコライ2世まで家系は続きますが、ロシア革命の結果、ニコライ2世の家族全員が殺されることで、このドイツ系のロマノフ家(ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家)は終焉を迎えることになります。

★★★ツェアプスト Zerbst / Anhalt – 12 – に続きます

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