誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(67)★★ノイルッピン Neuruppin -6-

★★ノイルッピン Neuruppin -5- からの続きです

さて、お待たせしました・・・待ってないか(笑)これまであちこちで登場してきたテオドール・フォンターネ Theodpr Fontaneという作家の生誕地がこのノイルッピンということで、この町は「フォンターネの街 Fontane Stadt」というニックネームを貰っています。

ハインリヒ・テオドール・フォンターネTheodor Fontane1819年12月30日 ノイルッピン Neuruppin(現在ブランデンブルク州) – 1898年9月20日 ベルリン)は、ドイツの著作家(小説家、詩人)で薬剤師。19世紀ドイツ文学の詩的リアリズムを代表するもっとも重要な作家と見なされている。

フォンターネはドイツにおける詩的リアリズムを代表する傑出した作家と見なされている。作品ではフォンターネは、登場人物の容姿やその環境、そしてとりわけその言葉遣いを精緻に描き、それぞれの登場人物の性格を上手く特徴付けることに成功している。フォンターネの作品に典型的なのが、閉鎖的なサークルでよく交わされる会話(雑談とも言う)で、例えば、会食などで、人々が社交場の慣習に従いながらも、本当の興味を、(しばしば自分の意に反して)暴露してしまうような場面である。フォンターネは個々の人物の批判を通して、間接的に社会批判を行っているのである。フォンターネの作品の全知の語り手の文体で顕著なのは、彼のアイロニカルなユーモアで、彼は『リアリズムの構成要素としての浄化の概念』(1889年)でグスタフ・フライタークの『先祖代々』を批評するなかで、ユーモアをリアリズムの「最善の方法」と呼んでいる。(日本語 Wikipediaより)

彼は多くの作品を残していますが、代表作の一つに「Wanderungen durch die Mark Brandenburg マルク・ブランデンブルク周遊記」があります。

フォンターネの最初の紀行文、たとえば『記念堂庭園』(かつてプロイセン皇太子フリードリヒの庭園だった)など、故郷ノイルッピンに関する紀行文が「クロイツ新聞」(新プロイセン新聞)[2]に掲載された。そして、1861年、これらの紀行記に歴史やさまざまな物語が追加されて『ルッピン伯爵領』という小さな本が出版され、翌年の第2版では『マルク・ブランデンブルク周遊記』とさらにタイトルが追加された。フォンターネは、死の間際までこの『マルク・ブランデンブルク周遊記』第1巻に手を加え、部分的にノイルッピン時代の隣人であった商人アレクサンダー・ゲンツの協力も得ながら増補し、最終的にこの巻は5版を数えた。この「周遊記」には、まだ他に3巻と、彼の生前には出版されなかった死後公刊の原稿が含まれている。「周遊記」の仕事が、彼の晩年の叙事文学の創作活動の素地を形作ったのである。(日本語 Wikipediaより)

★★ノイルッピン Neuruppin -7- に続きます

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