三十年前のドイツ(55):Erste Rundfahrt durch die DDR 初めての東独の周遊ドライブ ー10-

三十年前のドイツ(54):Erste Rundfahrt durch die DDR 初めての東独の周遊ドライブ ー9-からの続きです。

さて、自分の趣味の世界「狭軌鉄道の蒸気機関車」を満喫して、次はロストック(Rostock)を目指します。ロストックは、東西ドイツ統一後に再編された旧東独の行政地域「メクレンブルク=フォアポメルン州(Land Mecklenburg-Vorpommern)」の州都のポジションを、最後までシュヴェリーンと競った町で、旧東独では最大の港湾都市で、今日の人口でもシュヴェリーンの10万人弱に対し、20万人超と倍以上あります。人口160万人程の州で何故シュヴェリーンが、倍の人口を持つロストックを差し置いて州都となったのか・・・かつてのメクレンブルク公国への回帰のような心情がどこかにあったのでしょうか?

我々は、同僚 S君にハンドルを預け、ヴァルネミュンデ(Warnemünde)経由でロストック市内に向かいます。途中、右手に巨大なアパート群が出現し、度肝を抜かれます!

動画はこの写真の右端の道路(国道 103号線)を南下して Rostock市内を目指しているところです。冒頭に映る交差点は、上の航空写真で言えば「ギュストローアー通り」とある地点です。やや見辛いですが右下のスケールで測ると、映像に映る巨大なアパートの一辺は「200m」もあることになります!

ここは「リュッテン クライン(Lütten Klein)」というロストック市内の地区で、港湾関係労働者の為の巨大なアパートが建設されたところです。この日は金曜日だったのですが、動画の冒頭に、仕事を終えて家路につく労働者の一群が映ります。

地図で「入り江」になっている Warnow川の左岸赤塗りの地区の右上 Gross Klein地区)に、東独随一の造船所「ネプトゥン・ヴェルフト(Neptun Werft)」(があったのですが、この労働者の一群はそこの従業員あるいは関係者と思われます。東独随一の造船所とはいえ、その後の経済的な激動・淘汰の荒波の中で、造船所としての役割は終えることになります。

ちなみに「ヴァルネミュンデ(Warnemünde)」という地名は「Warnow川の河口」という意味です。


動画の半ばあたり、進行方向の右手遠景にまた巨大なアパート群が映ります。ここは「シュマール(Schmarl)」という地域で、やはり新興住宅街です。Wikiによれば、1981年からの開発着工のようで、まだ 10年ほどしか経っていない新興住宅街だったようです。

Bundesarchiv Bild 183-Z0514-026, Rostock, Schmarl, Neubaugebiet, Wohnblocks.jpg
Von Bundesarchiv, Bild 183-Z0514-026 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, Link

再び、右手に視線を移すとまたまた巨大なアパートが見えます。ここは「エファースハーゲン(Evershagen)」という地区で、上と同様に新興住宅街です。

Rasmus Hochhaus Rostock-Evershagen.jpg
Von Florian Koppe – Eigenes Werk, CC BY-SA 3.0, Link

三十年前のドイツ(56):Erste Rundfahrt durch die DDR 初めての東独の周遊ドライブ ー11-に続きます。

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