誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(72)★★★ ゼーハウゼン Seehausen -5-

★★★ ゼーハウゼン Seehausen -4- からの続きです

駅に向かいます。来るときには町向かうことばかり考えていたので見逃していたものが見えてきたりします。

ここも「Hansestadt」を標榜しています。ハンザ都市といいますが、ドイツ語では「ハンゼ」都市ですね。ルフトハンザの影響でしょうか?

Lindenstrassseと聞いてこれを思い出す方はかなりの高齢者です(笑)

東独時代に建てられたと思しき低層住宅です。玄関の凸部に使われている格子状のブロックがいかにも東独仕様です。

今回、実はこの町をちょっと侮っていて、一番奥の方にあった見るべきものを見逃していました(不覚!)。Wikipehia及び観光サイトからそれらの画像を借用しておきます。

城門は Beuster Tor、煉瓦造りの建物は Salzkirche(15世紀に建てられ、以前は病院の聖霊教会(Heilig-Geist-Kirche eines Hospitals)だったが、後に倉庫や発電所として使われるようになった)とのことです。(ソースはこちら

以上「ずっと気になっていた Seehausenに行ってみた」の巻でした。1990年に行っていたとしたら・・・東独経済が実質的には破綻しており、まだ西側に資金による復興が始まる前だったので、補修がなされていないボロボロの家屋に、パタパタという2気筒エンジンのトラバントが、混合ガソリン独特の排気ガスをまき散らしながら走り回っている様を見ることになっていたでしょう。

東ベルリンなどの大都市ならともかく、こんな田舎町には贅沢品などが回って来ていたとも思えず、国営の小売店チェーン(HO)や廃業したパン屋などで売られていた食料品もかなりベーシックなものばかりだったと想像されます。しかし一方で、町には今とは違った活気があったのも事実です。

上の表によれば 1990年から 2015年にかけて人口は 2,000人近く減っており、2024年の今日では4割くらい減ったものだろうと想像されます。この町もまた、綺麗に修復された建物と引き換えに、2,000人の人口と活気を失ってしまったように思われます。しかしその活気の正体は国家レベルでは膨大な無駄を生んでいた社会主義経済だったことを考えると・・・どちらが良かったのか?最初から正解は無かった選択肢だったのかも知れません。

★★★ ゼーハウゼン Seehausen を終ります

シリーズ:誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte に戻ります。

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