誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(29):★★ハレ(ザーレ)Halle (Saale) -13-

ハレ(ザーレ)Halle (Saale) -12- からの続きです

自分で撮ったハレ市内の画像は前回までで出し尽くしたので、今回は YouTubeにアップされている紹介動画や歴史的な動画、およびアクセス情報などを纏めてこの項を完結させることにします。YouTube動画、DBアプリの画像の後に、イベント列車や車内風景の画像もあります。

↓↓ 8分ほどの市内ぶらぶら歩き動画です

↓↓ 55分ほどの市内ぶらぶら歩き動画です。特にナレーションは無いので流しっぱなしで町にいる気分に浸れます。

↓↓ 1990年春、10月 3日は統合で消滅する DDR(旧東独)がまだ存在した時期の貴重な動画です

↓↓ 1989年、旧東独時代の動画です、この年の 11月にベルリンの壁が崩壊します。

↓↓ 1981年、まだ壁が崩壊する予兆など無い旧東独時代の動画です

↓↓ 戦後、東独が 1949年に建国して間もない、復興期のものです

↓↓ 1922年、戦前のワイマール共和国時代の動画です

ハレへのアクセスは、フランクフルト空港駅から ICEを乗り継いで(Erfurtで乗り換え)約 3時間半、ベルリン中央駅からでも 1時間半くらい、直行だともっと短時間と、大変便利です。クリックすると拡大します。→→→

また日本人が仕事で行きそうなデュッセルドルフからも約 5時間半、ライプツィッヒは実質的に隣町感覚です。(↓↓クリックするとスライドショーになります)

↓↓ 中央駅にはイベント列車が停車していました。MITROPAは「Mitteleuropäische Schlaf- und Speisewagen Aktiengesellschaft、Mitropa AG)1916年に当時のドイツ帝国にて設立された、鉄道寝台及び供食サービス提供事業者。中央ヨーロッパ寝台・食堂車株式会社(ちゅうおうヨーロッパしんだい・しょくどうしゃ)とも訳される」(日本語 Wikipedia)という企業で、大戦や旧東独時代を生き延びましたが 2006年に最終的に解体され廃業しました。ドイツが分割されていた当時に、西ドイツに駐在した鉄ちゃんとしての私は、共産圏の食堂車や寝台車に興味津々ではありましたが乗車することは不可能だったので、憧れだけが残っています。統一後は西側にもレストランを展開したりして身近にはなりましたが、経営は苦しかったようです。

↓↓ クリックするとスライドショーになります。DRとは Deutsche Reichsbahnという由緒ある名前で、旧東独が引き継ぎ、西独のほうは Deutsche Bundesbahn(DB)という名称となりました。赤いディーゼル機関車は旧ソ連製です。

↓↓ フランクフルトに向かう ICE(特急列車)にて。これは食堂車やビュッフェではなく1等車のテーブル席です。普段はパソコンや書類を広げて仕事してますが(笑)

↓↓ 車窓から見える風景です。かつての東西ドイツの国境あたりですが、それに気が付くような施設などは残っていません。5月半ばで菜の花(Raps)の黄色い花の絨毯が見事です。遠くに何かを採掘した際の土砂ではないかと想像される人工的な山が見えますが、独語Wikipediaによれば「モンテ・カリまたはカリマンジャロ(キリマンジャロに由来)は、非常に大きな塩田のボタ山の名前です。ヘッセン州とテューリンゲン州の境界線近くにあるヘリンゲン(ヴェーラ)地区に位置しています。遠くからでも見える白いスラグの山は、標高530mの頂上の台地に達しており、観光名所にもなっています。」とのことです。こういうボタ山は旧東独地域では結構あちこちで見かけます。

↓↓ これはハレではありません。フランクフルト市内 Hauptwacheある Galleria Kaufhofというデパートのレストランのテラスからの眺めです。フランクフルトから成田行 408便は夕刻の 19:00発なので、午後は Kaufhofのデパ地下で食材や土産を買い込むのが「お約束」になっています(笑) このシリーズ冒頭にも、ハレの Galleria Kaufhofからの眺めの画像をアップしてあります。

ハレ(ザーレ)Halle (Saale) の項を終わります

シリーズ:誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte に戻ります。

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