誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(30):マクデブルク Magdeburg -2-

マクデブルク Magdeburg -1- からの続きです

まず町歩きの前に、どんなロケーションなのか確認しておきましょう。航空写真によるとエルベ川が蛇行している部分の「凹部」に沿って市街地が広がっていることが分かります。凸部にも集落は確認できますが、住宅街という風情で町の中心部ではないようです。画像はクリックすると拡大しますが、エルベ川(Elbe)が「ラベ川(Labe)」と表記されています。これはチェコ語ですが、Google Mapでは何故かドイツを流れている場合でも「ラベ川」との表記になるようです。

市内中心部の地図です。駅の東の約 300mほどの所に「アルトシュタット(旧市街)」の表記があり、私が泊まった MARITIM HOTELもこのあたりにあります。そこから約 500m南下したあたりに「マクデブルク大聖堂」があります。そしてそこから南西の方角の約 500m進むと駅(Hasselbachplatz)があります。概ねこの範囲に市街地を示す「薄いクリーム色」が広がっています。

しかし、この町は戦災で旧市街も徹底的に破壊されて更地同然になったため、ドイツやヨーロッパの、戦災を免れたか軽微で済んだ他の町のような「途切れることのない歴史の流れと蓄積」を感じることは、残念ながらまず不可能です。

↓↓ 独語Wikipediaの「Luftangriff auf Magdeburg am 16. Januar 1945」から借用した画像で Royal Airforce(英国空軍)が撮影したようですが、広範囲にわたって市街地の建物に被害が及んでいるのが見て取れます。大半の建物は屋根と床が抜け、かろうじて壁面だけが残っている感じです。こういう状態になってしまった建物をどうやって再建するのか・・・建築家ではないので想像がつきませんが、戦前からの景観を維持するために焼け残った壁面も可能な限り保存をする努力をした西独とは異なり、旧東独は更地にしてしまって Plattenbauを建てるという方向に行ったのだろうと想像されます。

Magdeburg, Royal Air Force Bomber Command, 1942-1945 CL3459.jpg Gemeinfrei, Link

これらも独語Wikipediaからの借用ですが、下は「Stadttheaterの 1950年の状態」戦後 5年経った段階でこういう感じだったようですが、1958年に爆破解体されてしまいました。

右はその遠景に見えている「Ulrichskircheの 1954年の状態」ですが、これも 1956年に爆破解体されてしまいました。

Bundesarchiv Bild 183-08718-0004, Magdeburg, Ruine Stadttheater.jpg
Von Bundesarchiv, Bild 183-08718-0004 / Biscan / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, Link

Bundesarchiv Bild 183-23382-0006, Magdeburg, Ulrichskirche.jpg
Von Bundesarchiv, Bild 183-23382-0006 / Biscan / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, Link

↓↓ 下の画像は USAAF(米国空軍)が撮影した画像です。冒頭の Google Mapの航空写真とは凹凸が左右逆になっていることで、北から南を見たところということが分かります。画面の右下に黒く見えているのは大聖堂(DOM)で、ここも天井が抜けているように見えます。

Blick auf das Stadtzentrum (rechts am Bildrand der Magdeburger Dom und der große Domplatz). Quelle: USAAF / NARA / Public Domain

↓↓ 戦前の目抜き通り「Breiter Weg」の画像です。

右の画像は 1990年 9月 30日、旧東独(ドイツ民主共和国)が消滅する 3日前に訪問した際に買った「旧東独らしい絵葉書」です。

名所旧跡よりも、こういう「近代的な都市」の写真が数枚綴られています。廃墟となった町の瓦礫を撤去して、こういう Plattenbauの高層住宅を建てていったのです。


マグデブルグといえば、ドイツの歴史の本を読めば「初代神聖ローマ皇帝オットー1世が育ちその墓所がある」、「マクデブルク大司教座(Erzbistum Magdeburg)」、東ヨーロッパの都市などが「マクデブルク法Magdeburger Recht)」を採用した・・・などの記述が度々登場し、文化的に非常に大きな影響力のあった町ということが伺えますが、爆撃され破壊されてしまうともはやそれを感じることは不可能になります。戦争に関する国際法(ジュネーブ条約)で、毒ガスの使用は禁じられましたが、都市の大規模な破壊も禁じることはできなかったのでしょうか?・・・残念です。

こちらに、失われてしまった教会や建築物など文化的遺産のリストがあります。

マクデブルク Magdeburg -3- に続きます

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