テューリンゲン諸邦 Thüringische Staaten

ドイツ帝国の構成国の中のテューリンゲン諸邦

旧東独で東西統一後「テューリンゲン州 Freistaat Thüringen」として纏まった地域(右の地図)は、歴史的に分家を繰り返した結果、細かい領邦国家が入り組んでおり、纏めて「テューリンゲン諸邦 Thüringische Staaten」と呼ばれていました。ドイツ帝国成立時にも6つの領邦国家があり、更にその中にプロイセン王国などの飛び地がある状況でした。ここも自分のアタマの整理のためにフォーカスしておきます。

元々はヴェッティン家 (Wettin)のザクセン選帝侯フリードリヒ2世の二人の息子、エルンストとアルブレヒトが領土を分割(1485年ライプツィヒの分割)、弟のアルブレヒトはドレスデンを中心とした世襲の地を与えられてアルベルティン系ヴェッティン家を創設(下の地図の右手クリーム色の地域)。兄のエルンストは選帝侯の地位を引き継いでその他の地域を与えられ、エルネスティン系の始祖となります。こちらのエルネスティン系が分邦を繰り返してこういう状態になったという経緯です。

ドイツ国内におけるテューリンゲン州の位置
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