誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(1):★★ ゲルリッツ Görlitz ーその8ー

★ ゲルリッツ Görlitz ーその7ーからの続きす

ポーランドの「ズゴレジェッツ Zgorzelec」を歩き、再びドイツ側のゲルリッツに戻ります。

これはドイツ帝国時代の建物ではなさそうです。「DOM HANDLOWY」・・・先ほどのコンピューターショップで「DOM」は「HOME」とか「HAUSE」と想像をつけ、「HANDLOWY」・・・これってドイツ語の「HANDEL」=商売とか取引とかと想像すると「DOM HANDLOWY」=「HANDELSHAUS」・・・デパートかなんかかな?と想像を付けてみます。印欧語圏なら、なんとなくこういう想像がついて、それが繋がっていくのが楽しいんです。

坂を下っていくと「KANTOR」と書いてある店があります。その下に両替レートらしい通貨と数字が書いてあるので「WECHSEL(EXCHANGE)」という意味でしょう。そして「ZIGARETTEN」とタバコを売っているようなので、ここはもうドイツ国境から近いことが感じられます。この坂を下っていくと再びナイセ川に行き当たり、その橋を渡ればドイツに戻ることになります。

ポーランド出身のローマ法王「ヨハネ・パウロ2世」の名を冠した橋を渡って再びドイツのゲルリッツに戻ろます。「MOST」は橋の意味ですね。もちろんここにも国境検問はありません。

なにやら地球儀の絵と説明書きが有ります。ザックリいえば・・・19世紀末までは、都市によって時間はバラバラだった。その地点で太陽が最高点(南中)に達した時刻を12時としていた。1884年 10月に25か国の代表がワシントンに集まって喧々諤々の議論の末、グリニッジを標準時とし、更に地球を 15度ごとの経度で切って 24のタイムゾーンに分けた。ドイツ帝国については、内務省が 1893年 3月 16日の官報で「1983年 4月 1日から東経 15度の時刻を標準時として法律として定める」・・・とし、その東経 15度がゲルリッツを通っているいるということです。この中央欧州時間を採用しているのは、ヨーロッパからアフリカ諸国まで 42か国ある・・・と書いてあります。

★ ゲルリッツ Görlitz ーその9ーに続きます

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