Probstzella(プロープストツェラ):バウハウスホテル

バウハウスというと真っ先に思い出すのは Dessauの校舎かと思いますが、ベルリンにもそのアーカイブがありますし、最近ワイマールにも記念館が開設されました。が、ここでご紹介するバウハウス様式のホテルはあまり知られていないかも知れません。

そもそも Probstzella(プロープストツェラ)なんて地名を知っている日本人は、相当レアというか、かなりのオタクに違いありません(笑)。知っているとすれば、このバウハウスホテルか、或いは「国境駅博物館」の関係でしょうか・・・いずれにしてもかなりディープです(笑)。

Probstzella(プロープストツェラ)はテューリンゲン州のバイエルン州との国境近くにある人口3千人足らずの小さな町ですが、かつては東西ドイツの国境に位置した関係で、検問施設や貨物検査施設がものものしく設置されていました。その一部は駅舎の中に博物館として公開されています。

国境駅博物館

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Von StörfixSelbst fotografiert, CC BY-SA 3.0, Link

Haus des Volkes(人民の家)は 1925年から 1927年にかけて、地元の実業家 Franz Ittingの依頼によって、ホテル兼多目的ホールとして、Bauhausで建築を学んだ Alfred Arndtと Ernst Gebhardtによって建てられました。インテリアは Bauhaus Dessauの芸術家によってデザインされました。第二次世界大戦後、建物は税関として東独政府によって使用され、イベントホールでは様々な種類の公演やお祝いがありました。1970から 1971年にかけて、建物はレストランを拡張するために改装されました。1995年にこの家は歴史的建造物として指定され、2003年に建物の修復と再利用を目的とした民間の所有者に売却され、2005年末にレストランは再開されました。中には劇場とコンサートホールがあり、ドイツの「旧東西ドイツ国境を環境保護地区とする団体(Grünen Bandes Deutschland)の展示もされています。2014年以来、ジャーリストの Roman Grafeによって企画された、Franz Itting博物館があります。(Wikipedia独語版からの私訳)

Haus des Volkesは、日本語では「人民の家」とか「大衆の家」とか「民族の家」とか、文脈によって様々な訳が可能ですが、創設者 Franz Ittingの想いは「コミュニティハウス」「みんなの家」的なものではなかったかと推察します。Franz Ittingは「社会民主主義者」だったため、ナチスの時代は迫害を受け投獄されますが、戦後は東独政府から「資本家」として様々な迫害を受け投獄され、最後は財産を没収され西独のバイエルンに移住を余儀なくされるという過酷な運命を辿った人です。

バウハウス運動に関心のある方、また東西ドイツの歴史に関心がある方は一度是非訪問をお勧めします。ホテルとレストランはいずれも非常にリーズナブルな価格です。

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ホテルの公式サイトはこちら

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