- 2020-4-15
- ブログ
★★ヴィッテンベルク Lutherstadt Wittenberg -その3- からの続きですす。
Schlosskircheから駅に向かう為 Schlossstrasseを歩くと、右手に気になる看板が見えてきます。「HAUS DER GESCHICHITE 歴史の家」?ん、何だろ?
おお!DDRの庶民の生活の博物館だ!こりゃあ入ってみなくては!(笑) このブログでは西独・東独と書いていますが、冷戦下の西ドイツに住んでいたものとしての感覚は「DDR デーデーエア」なんですね。新聞や雑誌、あるいは東ベルリンに向かう道路の交通標識に書いてある3文字のアルファベット「DDR」、あるいはラジオやテレビから流れてくる「デーデーエア」の響き・・・それを見たり聞いたりする毎に、少し緊張感が走り、僅かのアドレナリンが分泌される・・・そういうもんなんです、あの DDRというのは。
日本の Googleで「DDR」を検索すると思いもかけないものにヒットします。変なものを拾わない為には「Berlin」とか「Dresden」みないなメジャーな地名でも入れておくといいかも知れません。
ワクワクしながら中に入ってみます。もうこの時点で、本来乗るつもりだった ICEは見送って、次のやつに乗ろうとハラは決まっています(笑)
ぱっと見には、戦後の西側の生活空間や生活様式と殆ど変わるところはありません。ドイツの戦後史や東独のことに特段の関心が無い人に「これは西独の戦後の生活」と説明すれば、そのまますんなり信じそうな気がします。実際、焼け野原となった戦後日本の、木造バラックの粗末な家での生活と比べると随分豊かにも見えます。
しかし、よく観察すると、世界的なブランドとなった西独の家電や生活用品などが見られず、色彩や部材などにどこか違和感があります。子供のおもちゃに Sandmännchenがいます。東独フリークにはワクワクする情景です。映画の Goodbye Leninや Sonnenalleeなどに出てくる、東独の普通の市民生活がここに再現されているのです。
シュタージによる監視体制やSEDによる一党独裁体制など、政治的にはいろいろと問題があったのでしょうが、市民の生活はそれとは関係なく今も興味を引く対象です。「オスタルギー Ostalgie」(東:Ost + 郷愁:Nostalgieの造語で、旧東独時代の生活を「あのころはよかった」と懐かしむ感情)・・・何故か私もそれに共感する部分があります。
だんだん見慣れてくると、色彩感覚やデザイン感覚が西独のそれとは違うなというのが分かってきます。日本にも、こういうものに関心を抱く人というのは少数ながらおられるようで、東独を含む旧社会主義諸国のアイテムを扱うショップもあります。その中の東独アイテムのコーナーはこちら。
このあたりに出てくる食料品(Lebensmittel)のブランドは東西ドイツ統一後に生き残ったものは殆どありません。コメコンという旧社会主義諸国の経済圏に縛られ、外貨も乏しかった東独は、西独では当たり前に手に入ったオレンジ、グレープフルーツやバナナなどは Südfrucht(英語で言えば Tropical fruits)と呼ばれて珍重され、コーヒーなども代用コーヒーが飲まれたりしていますた。
★★ヴィッテンベルクの項を終ります
シリーズ:誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Stadte に戻ります。