誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(89)★★★アルテントレプトウ Altentrptow -4-

★★★ アルテントレプトウ Altentrptow -3- からの続きです

ブランデンブルク通りのドン詰まりに城門があります。称して「ブランデンブルク門」!ベルリンのとはかなり趣が異なります(笑)

ブランデンブルク門(アルトントレプトウ)

アルトントレプトウのブランデンブルク門Neubrandenburg Gate)は、ゴシック様式の都市門であり、かつては都市を囲む城壁に 3つあった門のうちの1つであった。

アルトントロプトーの市壁はv3つの市門とともにv1450年頃に建設された。市壁と追加の防壁は三十年戦争後に徐々に破壊された。南のブランデンブルク門と、当時まだ高い塔が残っていたデミン門は保存された。水車門はv1844年に破壊された。

ブランデンブルク門は、ノイブランデンブルク門とも呼ばれ、レンガ造りである。 前面は千鳥破風が特徴的で、野原側(つまり外側)では、跳ね橋の支柱が 5階建ての塔の 3階部分までを支えている。その高さや、メクレンブルク州との境界に位置していることから、見張り塔としても使われていた。尖頭アーチ型の通路と塔を持つこの門は、切妻屋根を持つ 5階建てのレンガ造りの建物でである。典型的なレンガ造りの建物は、上層階のすべての面にファサード装飾が施されていた。

この市門は後に小規模な刑務所として使用された。1895年、刑務所制度が近代化され、刑務所の拡張部分が市門のすぐ隣に建設された。この拡張部分は 1929年まで拘置所として使用された。その後、この拡張部分にアパートが建設された。1984年頃、安定化床が設置されました。その後、この建物は文化目的に使用されるようになった。

門は市街地の南、ルドルフ・ブライトシャイト通り(Rudolf-Breitscheid-Straße)に位置している。1945年以降、フリッツ・シミオット(Fritz Simiot)が門を題材に詩「ブランデンブルク門にて(Am alten Brandenburger Tor)」を書いている。

記念建造物保護

ノイブランデンブルク門塔、デミン門塔、市壁、城壁などの都市防衛施設の遺構は、記念建造物保護の対象となっている(アルトントレプトウの記念建造物リスト、No.83を参照)

おお!絶滅危惧種(確定種?)のトラバントが!いい感じだなあ(笑)

★★★ アルテントレプトウ Altentrptow -5- に続きます

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