- 2026-3-28
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ヴァイセンフェルズ Weißenfels -6- からの続きです
ドイツ赤十字社 (独語: Deutsches Rotes Kreuz) が運営する Altenpflegeheim:障害を持つ高齢者の介護施設のようです。庭ではプロの歌手を呼んでのイベントが開かれていました。
↑↑ こういう残念な景観もあります。この町が受けた爆撃や砲撃による戦災は比較的軽微だったようです。地方の工業都市ではありましたが、靴や繊維製品が主体で特段の軍需工場はなかったのが幸いしたといえます。が、破壊は戦後ソ連の支配下に入り東独の経済事情で建物の補修資材や資金が乏しく、なすすべもないままに進んでいったということになります。
↓↓ 東独時代の典型的な Plattenbau・・・コンクリート板をプレキャストで作って貼り合わせていく工法の建物です。
写真の建物は、ドイツのザクセン=アンハルト州ヴァイセンフェルスにあるハインリヒ・シュッツ・ハウス(Heinrich-Schütz-Haus)です。
この建物について、以下のことが知られています。
* 歴史: 1552年頃にルネサンス様式で建てられました。ドイツ・バロック音楽の巨匠である作曲家ハインリヒ・シュッツ(1585–1672)が、1651年に引退後の住居として購入し、亡くなる直前までここで過ごしました。
* 現状: シュッツが暮らした当時の姿を留める唯一の住居であり、現在は彼の人生と作品を展示する博物館として公開されています。
* 見どころ: 修復された「作曲の部屋(Komponierstube)」が見どころで、彼はここで晩年の主要な作品を書き上げました。
* 閉館予定: 建物は2010年から2012年にかけて大規模な修復が行われましたが、拡張工事のため、2026年4月7日から約3年間、一時閉館する予定です。
写真の建物は、ドイツのザクセン=アンハルト州ヴァイセンフェルス(Weißenfels)にある、かつての有名なガストホーフ(旅籠兼居酒屋)「ツム・ゴルデネン・ヒルシュ(Zum goldenen Hirsch)」です。ニコライ通り10番地(Nikolaistraße 10)に位置するこの建物には、16世紀半ばまで遡る非常に長い歴史があります。
起源: 16世紀半ば(1568年頃)に2軒の独立した住宅として建てられ、当初は「Zum güldenen Creutze(黄金の十字架亭)」という名前のガストホーフでした。
名称の由来: 1712年、当時の領主クリスティアン王子の狩猟への情熱にちなみ、現在の「黄金の鹿(Goldener Hirsch)」に改名されました。
建築: 外観をよく見ると、窓の並び(軸)が左右で異なっており(東側6軸、西側3軸)、もともと2つの建物が統合された名残が見て取れます。
用途の変遷: かつては町の公会堂(Stadthalle)や「働く人々の家(Haus der Werktätigen)」としても使用されていました(これは東独によくあった名称ですね)
残念ながら、この歴史的な建物は1995年以降空き家となっており、現在は老朽化が進んで廃墟に近い状態です。2000年代初頭には住宅への改修計画もありましたが、これまでのところ実現には至っていません。現在は文化財(保護建築物)として登録されており、その色褪せたピンク色のファサードや歴史的な看板が往時の面影を今に伝えています。
写真の建物は、ドイツのザクセン=アンハルト州ヴァイセンフェルス(Weißenfels)にある、かつての宿泊施設「アルト・ヴァイセンフェルス(Alt-Weißenfels)」です。この建物の窓に飾られている印象的な写真は、ヴァイセンフェルス出身の著名なファッションフォトグラファー、ホースト・P・ホースト(Horst P. Horst)の作品を再現したインスタレーションです。
* 場所: ヴァイセンフェルスの Große Burgstraße 19番地に位置しています。
* 歴史: 1697年に建てられた歴史的な建造物で、かつては宿屋(ガストハウス)として利用されていました。現在は空き家となっていますが、文化的な展示に活用されています。
* アート: 窓にはホースト・P・ホーストの象徴的な作品が飾られており、入口の真上には1943年に撮影されたサルバドール・ダリのポートレートが見えます。その他の窓にも、『Vogue』誌のカバー写真(1939年)などの有名なファッション写真が再現されています。
写真左下の標識には、近くにあるアウグストゥスブルク城(Schloss Neu-Augustusburg)への案内が出ています。この城は現在博物館になっており、世界最大級の靴のコレクションなどが展示されています。
画像にあるのは、ドイツのザクセン=アンハルト州ヴァイセンフェルス(Weißenfels)にある歴史的建造物「ゲライトハウス(Geleitshaus)」の入口です。この建物内には、アイリッシュパブと博物館の2つの施設が併設されています。
Irish Pub Battlefield(アイリッシュパブ・バトルフィールド)
建物の一階(交差円蓋の部屋)にあるパブです。100種類以上のウイスキー、ギネスやキルケニーなどのビール、アイルランド料理などが楽しめます。ライブ音楽やパブクイズ、ウイスキーのテイスティングイベントなども定期的に開催されています。
Gustav-Adolf-Museum(グスタフ・アドルフ博物館)
パブの上の階にある、三十年戦争とスウェーデン王グスタフ2世アドルフに関する博物館です。
見どころ: 1万体のスズの兵隊でリュッツェンの戦いを再現した巨大なジオラマや、王の遺体が安置・検死された「解剖室(Obduktionszimmer)」があります。
しかし・・・以前にご紹介したようにスウェーデン王グスタフ2世アドルフがリュッツェンの戦いで戦死して安置されたのはアイレンブルク(Eilenburg)ではなかったか?実際こういう記事を書きました。ん?例によって AIがまことしやかな嘘をつくハルシネーションというやつか?(笑)・・・ということで確認してみます。
Q:三十年戦争でグスタフ・アドルフがリュッツェンの戦いで斃れたあろ遺体が運び込まれたという「アイレンブルク(Eilenburg)」と「ヴァイセンフェルズ(Weissenfels)」とはどのような関係なのでしょうか?いずれにも遺体が運び込まれた・安置されたという情報があります。
A:大変よいご質問です。結論から申しますと、アイレンブルク(Eilenburg)とヴァイセンフェルズ(Weißenfels)は「競合する」場所ではなく、遺体が段階的に移送される過程の中で、両方とも実際に関与した都市です。つまり 「どちらか一方が正しい」のではなく、「両方とも正しい」という関係になります。(中略)最終的に遺体がストックホルムに帰還するまでいくつかの都市に安置されながら移送した最初の2か所ということです。
ヴァイセンフェルズ Weißenfels -8- に続きます











































