誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(107)★★★ ヴァイセンフェルズ Weißenfels -8-

ヴァイセンフェルズ Weißenfels -7- からの続きです

さて満を持してこの町で最大の威容を誇るお城 Schloss Neu-Augustusburgです。

ザクセン=アンハルト州にあるヴァイセンフェルスのノイ=アウグストブルク城は、1680年から1746年まで、ザクセン選帝侯家の分家であるザクセン=ヴァイセンフェルス公爵家の居城であった。保存状態の良い初期バロック様式のこの建物と、その重要な付属教会である聖三位一体教会は、国家重要文化財に指定されている。現在、この城にはヴァイセンフェルス博物館が併設されている。1964年から同地に拠点を置いていた東ドイツの靴博物館に由来する靴工芸の展示に加え、2007年からはザクセン=ヴァイセンフェルス公国に関する展示も新たに設けられている。(Wikipedia

ザクセンのヴェッティン家は 1485年の「ライプツィッヒの分割」で兄アルブレヒトと弟エルネストが所領を分割し、その後両者は複雑な相続や分割・併合を繰り返していった経緯があります。トルガウの章で書いたものをちょっとだけ引用しておくと・・・

「ザクセンを治めていたヴェッティン家は 1485年にライプツィヒの分割条約で領土を分割し、兄アルベルトは今のザクセン州あたりを、弟のエルネストは今のテューリンゲン州あたり&「選帝侯」の地位を貰ったのです。その時、トルガウはヴィッテンベルクと並んで、弟エルネスト系の優先居住地とされ、ハルテンフェルス城がそれにふさわしいように拡充されます。

ところが、弟エルネスト系は選帝侯でありながら、ルターを擁護し宗教改革を後押しし、ついにシュマルカルデン戦争で、カトリックのボスである神聖ローマ皇帝に喧嘩を売って・・・敗けます(笑)お兄ちゃんのアルベルト系は皇帝側についたので「よしよし」ということで、弟系の領土の一部と、弟系から召し上げた選帝侯のポジションをご褒美として貰います」・・・という感じです。

そこから Sachsen-Weißenfels侯国ができた経緯はこちらにあります。しかしまあ、なんで分割した領土はこんな飛地だらけの複雑な形になるんですかね(笑)

小高い丘の上にあり訪問は断念しました。こちらをご覧ください。

ヴァイセンフェルズ Weißenfels -9- に続きます

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