誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(108)★★★ ツァイツ Zeitz -1-

ザクセン=アンハルト州のツァイツ Zeitsをご紹介します。訪問したのは 2024年 5月 23日です。

場所は大都市のライプツィッヒから40分弱、ここまでにご紹介したメルゼブルクやナウムブルクからも至近距離にあります。まあ知名度的には★★★でしょうけどね(笑)

しかしながら、ここは美しく保存された司教座都市ナウムブルクや、それほどではないにしても司教座の町としての威厳を保つメルゼブルクとは違って「不幸な経緯を辿った町」という気がします。それは追って見ていきましょう。

Wappen Lage Data

独語 Wikipedia
Weißenfels の公式サイト
Liste der Kulturdenkmale in Weißenfels
Liste der Bodendenkmale in Weißenfels

駅は立派な建物で、綺麗にリノベーションされています…が、イマイチ活気はないようですね…

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ツァイツ駅は、ザクセン=アンハルト州ブルゲンラント郡にあるツァイツ市の駅である。1859年に開業し、5つの路線が交わる大きな鉄道の結節点へと発展した。駅舎は文化財に指定されている。

位置

駅は市の北部、ヴァイセン・エルスター川沿いに位置する。ベーンス通りとシェーデ通りに面している。北東方向にはライプツィヒ行きの路線が走り、そこからヴァイセンフェルス、アルテンブルク、トロイグリッツ行きの路線が分岐している。南西方向にはプロブストツェラ行きの路線が伸びている。

貨物駅は旅客施設の北東、ライプツィヒ方面線路の西側、ライプツィヒ通りに近い場所に位置している。

歴史

ツァイツに最初の駅(テューリンゲン駅、後にプロイセン駅)が設置されたのは、1859年2月9日にヴァイセンフェルスからの路線がツァイツに開通した際のことである。同時に、ライプツィヒ–プロブストツェラ線のツァイツ–ゲラ区間も営業を開始した。この区間は現在の旅客駅の場所に位置していた。駅舎の左側にはツァイツ鉄道管理所があり、その建物内で1873年12月1日にツァイツ初の鉄道郵便局が開設され、後に急行貨物倉庫と貨物取扱所が設置された。ヴァイセンフェルスおよびゲラ発着の列車用に3本のホーム線があった。これらと並行して、貨物線や積み込み線を含む広大な積み込み用ランプが走っていた。現在のドナリエス通り地下道の場所には、馬車交通用の遮断機付き横断歩道があり、歩行者はトンネルを通って、遮断機が閉まっている時でも線路の反対側へ渡ることができた。1873年10月20日にライプツィヒ–プロブツツェラ鉄道北区間が開通すると、ツァイツへ通じる別の鉄道線路ができた。

1872年6月19日、民間企業であるアルテンブルク=ツァイツ鉄道会社によるツァイツ–アルテンブルク線の開通に伴い、ツァイツには新たな駅「ザクセン駅」が設けられた。この駅名は、運営主体であったザクセン王立国鉄に由来し、後のツァイツ貨物駅構内にある車両基地のほぼ同じ場所に位置していた。この駅は、駅舎、貨物倉庫、そして3両の機関車を収容できる機関車庫で構成されていた。当時、両駅の間にはまだ連絡路がなかった。これが変わったのは1882年、私鉄が当時のドイツ各州の国有鉄道に移管された時である。これ以降、貨物が一方の駅からもう一方の駅へ移送されるだけでなく、旅客列車もテューリンゲン駅を通過するようになった。

1897年に開通したツァイツ–カンブルク線は、テューリンゲン駅の線路利用率が極めて高かったため、1914年まで独立した「カンブルク駅」で終点となっていた。この路線の線路は、ゲラ線の線路と同一の高さで交差していた。

こうして、鉄道のおかげでツァイツの産業発展は著しい活況を呈し、それがさらに交通量の増加につながった。これを受けて、1879年にはヴァイセ・エルスター川を渡って駅へ至る「ドレイアー橋」が建設された。ツァイツ市にはその資金がなかったため、この橋は民間投資家によって建設された。1914年に市が橋の民間所有分を買い取るまで、橋を利用する者は誰でも3ペニヒの通行料を支払わなければならなかった。貨物輸送に使用されていた線路はすぐに手狭であることが判明し、そのため拡張された。

1912年、新しい操車場の建設が始まった。1913年6月1日に供用が開始された。従来の貨物駅での運行は停止され、ティーアガルテン通りにあるザクセン駅は旅客輸送のために閉鎖された。

1913年12月1日、トログリッツ–ツァイツ間の鉄道が、アルテンブルク方面への貨物輸送を結ぶ路線として開通した。

その間、旅客駅の改修工事は全速力で進められていた: 現在のドナリエス通りを跨ぐ踏切は地下道に置き換えられ、盛土が行われ、ツェマグ社付近に新しい地下道が建設された。カンブルク線のためには、ゲラ線を跨ぐ片持ち鋼橋による交差点が建設され、新しいホームが設けられた。旧施設や建物、およびカンブルク駅(1914年4月に閉鎖)は取り壊された。1915年には、新しい駅舎、急送貨物棟、その隣にある職員用住宅、そして1916年に鉄道郵便局が入居した管理棟が建設された。

1959年1月7日の朝、旅客列車の最後尾4両が駅への入線時に脱線した。この事故で乗客3名が死亡した。

トロイグリッツ行きの貨物列車路線は2005年まで運行され、2009年9月30日に廃止された。カンブルク行きの鉄道線路における旅客輸送は1999年に廃止された。2000年には同路線が廃線となった。

アルテンブルク方面への鉄道線路のツァイツ~マイゼルヴィッツ区間における旅客輸送は、2002年9月28日に廃止された。同線路は2012年12月12日以降、トロイグリッツまでの区間において、ツァイツ化学・産業パークへの接続線となっている。

2015年9月、ツァイツ駅舎の適切な賃借人を見つけることを目的とした関心表明手続きが開始された。2016年1月初旬以降、駅舎はツァイツ市が所有している。2022年、バスステーション、駅前広場、およびベーンス通りは改修を経て再開された。2023年、改修を記念して街の祭りが開催された。

これから歩く町はかなり残念なことになっているのですが、駅舎はこんな状況とは不釣り合いなくらい立派な建物です。鉄道が急速に普及し整備された 1850年代頃のドイツの勢い…またドイツ帝国が樹立される前なのでプロイセン他のドイツ諸邦の勢いを感じることが出来ます。

ツァイツ Zeitz -2- に続きます

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