誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(83)★★ シュトラールズンド Stralsund -11-

★★ シュトラールズンド Stralsund -10- からの続きです

さて主要なところを見たような気がするので駅に戻ります。ただ、これだけ大きくて立派な町になると「どこか見逃したのではないか感」が残るんですよね。まあ、今日はこれから行く町が実は本命なので、後ろ髪を引かれながら駅に向かいます。主要な3教会、Alter Markt、気になっていた2体の彫像のある建物を訪問できたので良しとしよう!

名残惜しいので今一度 Alter Marktをグルっと撮っておきます

キューター門(Kütertor)

シュトラールズントの旧市街の市街地にあるキューター門は、シュトラールズントの市門のひとつです。

この門は、市街地の陸側、シュトラールスンドに位置しており、1281年の文書に初めて言及されています。当時は、市壁に設けられた簡素な塔の構造で、その隣には門番が住む独立した家屋がありました。門番は、市街地に入る荷車を管理し、暗くなったり危険が迫ったりした場合には直ちに門を閉める必要がありました。

1446年、保存されていた建築資材を用いてキューター門が再建されました。1862年まで、門番小屋は刑務所として使用され、その後改修工事が行われ、長い間住居として使用されていました。1963年から2003年までは、キューター門は水道施設給水塔とともにユースホステルの一部として使用されていました。その後、数年間は空き家となっていました。

2012年から 2015年にかけて、キューター門と隣接する建物(ヴァッサークンスト、マウアーハウス、ヴァッサートゥルム、および 3棟の新築ビルを含む)は、Areal am Kütertor(キューター門地区)と呼ばれる住宅地に改築されました。2013年 6月時点で、作業はかなり進んでいましたが、年末までの完成予定は延期されました。2015年春、ようやく工事が再開されました。

キューター門は、ユネスコ世界遺産「歴史地区シュトラールズントとヴィスマール」の中心部に位置している。シュトラールズントの建築記念物リストには、都市の城壁全体とともに番号718で登録されています。

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位置、名称、説明

HeilgeiststraßeとAm Kütertorの突き当たりにあり、KnieperwallとKüterdammに面しています。名称は、当時この近隣に住んでいたKüter肉屋)に由来します。Küterは屠殺された動物の内臓のみを処理していました(Küt)。

15世紀に建てられた門楼は、高さ約 15メートルで、通りの全幅にわたって広がっています。最初の2階は、漆喰が塗られていない焼成レンガでできており、3階と急勾配の六角形の屋根ヘルメットを持つ教会のようなランタンには、2つの面に長いアーチ型の窓が取り付けられ、その間には白い漆喰パネルが装飾的な帯を形成しています。門番小屋はほぼ正方形で、幅 10.30メートル、奥行き 10.40メートルです。門の通路は幅約 6.50メートルで、高い尖頭アーチで形成されています。かつての内門と外門の区別は、もはや存在しません。

さてここからは YouTubeで公開されている動画をいくつか拾っておきます。

“Stralsund DDR – 1989/90 – ein Zeitdokument” (約 4:30)
今となっては貴重な、東独最後の日々のシュトラールズンド。4:36あたりからは別のテレビ番組になりますが、前半には、補修資材が無く廃墟化寸前の建物も多く記録されています。ここから今日のような状態にまで復興を遂げたということに感動を覚えます。ここだけではなく、東独全土がこんな感じだったのです。

“Sehenswürdigkeiten in Stralsund, 1961” (約 4:30)
こちらは 1961年、ベルリンの壁が構築された年の記録です。まだ社会主義経済が破綻する前で、それなりにマトモな町に見えています。

“Stralsund von Oben” (約 2:40)
ドローンによる空撮動画です、この町の構造がよくわかります。

“Stralsund, Germany in 4K | Walking Tour 2022” (約 4:30)
軽快に歩いて見る感じです

最後に独語 Wikipediaの「シュトラールズンドの歴史」はこちらです。長いので翻訳はギブアップです(笑)各自 DeepL翻訳などでお読みください。

10世紀にスラブ人の入植地として創設されたシュトラールの集落は、1234年にリューベック法に基づく市の権利を付与された。1325年にリューゲン公国が消滅した後、シュトラールズントはポメラニア=ヴォルガストの支配下に入り、14世紀以降はバルト海南部地域で最も重要なリューベックハンザ同盟都市となった。17世紀から 19世紀初頭にかけて、シュトラールズントは神聖ローマ帝国のスウェーデン王の領地に属していた。その後、プロイセンのポメラニア州の一部となり、地区行政の拠点となりました。1949年から 1990年まではドイツ民主共和国に属し、1990年からはドイツ連邦共和国の一部となり、フォルポメルン=リューゲン郡の郡庁所在地となっている。グライフスヴァルトとともに、メクレンブルク=フォアポンメルン州のフォアポンメルン地域における地域中心地となっている。

★★ シュトラールズンド Stralsund の章を終ります。

シリーズ:誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte に戻ります。

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