- 2024-11-22
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★★ グライフスヴァルト Greifswald -1- からの続きです
かつて濠や城壁で囲まれていた町の中心部は駅からすぐのところにあります。ラッキー(笑)歩いた道をプロットしてみましたが、後で見れば一番賑やかな Lange Strasseを往復しているだけですね。もうちょっと側道に寄り道すればよかったかも(笑)
下の古地図は上下が逆だったので倒置してあります。町の構造は変わっていませんね。
町の入り口には Johann Carl Gottfried Paepke ヨハン・カール・ゴットフリート・ペプケ(1797年2月27日グライフスヴァルト生まれ、1858年6月27日グライフスヴァルト没)は、ドイツの地方行政官であり、グライフスヴァルト市長だった人物の胸像があります。
彼は、1858年に開設されたガス工場や、1863年のグライフスヴァルトとアンゲルンデ・シュトラールズント鉄道の接続準備など、同市の発展に貢献した人物のようです。
St.-Jacobi-Kirche (Greifswald)
聖ヤコブ教会は大ヤコブに捧げられている。この教会はサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の一部であるバルト街道沿いに位置している。グライフスヴァルトにある中世の教会 3つの中で最も小さいことから、「小さなヤコブ教会」という愛称でも知られている。
そうか!ここからも遥かスペイン北部ガリシア地方にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラ教会への巡礼路が続いていたのか!各地に点在する「聖ヤコビ(ヤコブ)教会」って皆、巡礼路の上にあるのかな?ちょいとネタで調べてみよう!ちなみにゲルリッツやゾーストの関連記事にリンクを張っておきます。
グライフスヴァルト大学(1933年から 1945年、および 1954年から 2018年まではエルンスト・モリッツ・アルント大学グライフスヴァルトとして知られる)は、ハンザ同盟都市であるグライフスヴァルトに所在する総合大学である。1456年に創立されたこの大学は、中欧で最も古い大学のひとつである。ドイツ連邦共和国の領土内で継続的に存在する大学としては 4番目に古いと同時に、バルト海地域では 2番目に古い。西ポメラニア(Vorpommern)の領土所属が変化したため、一時的にスウェーデン(1648年~1815年)とプロイセン(1815年~1947年)で最も古い大学でもあった。
幅広い分野の科目を提供しているため、グライフスヴァルト大学は総合大学とみなされている。約10,300人の学生のうち、およそ 3分の2がメクレンブルク=フォアポンメルン州外からグライフスヴァルトに学びに来ており、その中には 90カ国以上から集まった多数のエラスムス計画の学生やその他の留学生も含まれている。
最先端技術分野における経済および研究の集積地が、大学周辺に形成されている。その中には、バイオテクノロジー(バイオコンバレー)や核融合(マックス・プランクプラズマ物理学研究所)などがある。これは、研究機関、新興企業、企業がこの地域に拠点を置くようになった結果である。
↓↓ 旧大学図書館・・・立派な建物です
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