誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(6):★★★ベルンブルク Bernburg -その3-

★★★ベルンブルク Bernburg -その2- からの続きです。

Saale川を渡って、少し生活感の有りそうな地区を歩いてみます。お城で見かけた町の模型でも、なにやらこちらの方にメインっぽい通りがあり、家並みや教会がありました。橋を渡ったらいきなり「Markt」という地名表示があり「Denkmalschitzgebiet」のプレートもあって、期待が高まります。・・・が、やはり閑散とした印象は変わりません。ちょっと残念ではあります。


元は領邦国家の領主の居城・城館が有った町で、それなりの活況を呈していたものと想像されます。が、近代になり鉄道や、更に道路網の発達で経済的なポジションが変わって行って重要度が下がっていったことは容易に想像されます。

このベルンブルクの場合は、第二次大戦前には軍用機の工場があり、そこをターゲットとして爆撃を受け、更にここに有った化学工場の設備は、戦後賠償の一環として撤去されソ連に接収されたという不幸が重なった経緯があります。

更に旧東独の体制下で経済は行き詰り、建物も廃墟化が進んでしまった・・・それでも、私が持っている旧東独の町の案内本(1989年発行)では、この町の人口は78千人あったのに、最近のWikipediaでは32千人と半減以下のレベルとなっています。そうでなくとも失業率が高い旧東独地域で、職は中~大都市に集中していった結果かと想像されます。

旧東独にはこういう町が至る所にあります。自らを「二級市民」(Bürger zweieter Klasse)と自嘲的に称することもあり、東西格差を垣間見てしまいます。歴史的にも大変興味深く、その雰囲気も好きな旧東独の町々・・・なんとかできないか?なんとかする手助けができないか?こういう町を見ていると心が疼くのです。まずは「こんな町があるんですよ!」と、日本のガイドブックにまず載らないところをご紹介して、微力ながらインバウンドの一助になれば・・・そんなことを思っています

なお、冒頭に「ある特殊な分野で知る人ぞ知るかもしれない」と書きましたが、ここに記述がある作戦に使われた施設のひとつがこの町にありました。現在はその経緯を記録・記憶・追悼するGedenkstätte Bernburgとなっています。なお、私のサイトにはドイツ人の友人も多く訪れるため、あえてこの方面の記事を殊更強調することはしていません。ご了解ください。

★★★ベルンブルク Bernburg の項終わりです。

シリーズ:誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Stadte に戻ります。

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