誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(54):★★ツェアプスト Zerbst / Anhalt -5-

★★ツェアプスト Zerbst / Anhalt -4- からの続きです

廃墟となった教会を通り過ぎて Schlossfreiheitという通りを西に向かってお城の方に歩きます。下の航空写真はクリックすると拡大しますが、廃墟となったお城の手前にはいくつかの建物があります。いずれも戦災を受けたようですが、これらはほぼ元通り修復されています。

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絵葉書には、教会に向かって左対面に白い建物、その手前にアーチ形のファッサードがある建物が見えます。かつてはお城の管理関係を仕切る従者などが居た事務棟的な建物と思われます。

中世には Hofbeamter(お城の管理関係の役人)の居所だった建物で、1857年以降は種々の役所が、1893以降は学校として使われ、1945年 4月 16日(爆撃で)破壊され、1958年に再建された・・・とあります。現在はラートハウスとして使われています。本来の歴史的なラートハウスは爆撃によって破壊され、その後完全に撤去されて残っていないのです。

アーケードのある Schloßwache-Zerbstの建物:
元はといえば、ここには王様のワインセラーがあった。

1746年/1747年、城の東翼の建設の過程で、プロイセンの建築指揮者フリーデルによって、いわゆる「Hauptwache」または「Feuer- und Spritzenwache」が建設された。

ツェルブストの市民であったデトレフ・ビーダがこの建物を購入し、大規模な解体・改修工事の後、6つの居住ユニットとゲストハウスを建設したのが、今日の「Schloßwache-Zerbst」である。彼は、自分の会社 PAB – Detlef Biedaとその従業員とともに、この仕事を遂行した。

「ファシストの圧政の時代、反ファシストのレジスタンスたちはこの建物で拷問を受けた」・・・とあります。ANTIFASCHISTISCHEという言葉が使われていることから、このプレートは旧東独時代に取り付けられたものということがわかります。

★★ツェアプスト Zerbst / Anhalt – 6 – に続きます

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