- 2024-9-30
- ブログ
ブランデンブルク州のラーテノウ Rathenowをご紹介します。
2023日 5月 11日(木曜日)、この日はシュテンダールにいてゆっくり街歩きと、ホテルでちょっと溜まった仕事でもしようかと思っていたのですが、昨日と比べてすごくいい天気だったので、やはりチョイとどこかに行こうかと考えました。
地図を見るとちょうどラーテノウがエルベ川を渡ってすぐのところ、電車で一駅だったのでそこに行ってみることにしました。
非知名度は★★★かと思うのですが、戦前から光学機器で有名なので「光学オタク」には知られているかと★★としておきます。「光学オタク」って居るのか?(笑)
Wappen | Lage | Data |
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独語 Wikipedia
市の公式サイト
光学博物館のサイト
ブランデンブルク州の観光ガイド
Liste der Kulturdenkmale in Rathnow
1870年にベルリン・レールテ鉄道が敷設されると、ラーテノウにも鉄道駅が設けられた。駅舎はラーテノウのレンガで建てられた。
1900年には、ラーテノウ-ゼンスケ-ナウエン間の地域鉄道が開通した。1904年にブランデンブルク都市鉄道が開通すると、ラーテノーは小さな鉄道の分岐点として発展した。3つの鉄道はそれぞれ別の駅を利用し、ナウエン行きの狭軌鉄道は駅の正面玄関から発着し、都市鉄道用の駅舎はレールターバーン施設の南側に建設された。しかし、最も重要な路線は依然としてレールター・バーンであり、ベルリンから西に向かう交通の大半を担っていた。1936年には、駅前の広場の最初の大幅な再設計が開始された。
第二次世界大戦後、ラーテノウからゼンスケまでの狭軌鉄道は閉鎖され、この区間の線路は撤去された。また、ソ連への賠償措置として、レールター・バーンも単線化された。ドイツの分割により、その重要性は低下し、ベルリンから西ドイツへの通過交通はマクデブルク経由のルートで運行されるようになった。
ドイツ民主共和国でベルリンの壁が崩壊する前から、両ドイツ国家は高速鉄道をハノーファーとベルリン間に建設する計画を立てていた。ドイツ再統一後、このプロジェクトは「ドイツ再統一のための交通プロジェクト」として推進された。駅舎は1990年代半ばに完全に改築された。1995年から1998年にかけての改築工事期間中、ラーテノーからベルリンまでの区間は完全に閉鎖され、シュテンダール発の列車はラーテノウの市駅で終点となった。新たに独立した電化複々線高速路線が建設され、ラーテノウ駅のプラットフォームと駅舎の間に線路が敷設された。 駅舎には線路に面した側にガラス張りの増築部分が加えられた。 旧路線の大部分はそのまま残され、それ以来、貨物および地域輸送に使用されている。ラーテノウ駅の東西部分では、高速線路とプラットフォームの間に連絡線が建設された。
ブランデンブルク都市鉄道のラーテノウ・ノルトとノイシュタット(ドッセ)間の区間は2003年11月30日に廃止されたが、ラーテノウとラーテノウ・ノルトの間は2005年まで運行が継続された。ラーテノウとブランデンブルク間のシュタットバーン路線は、2003年から2005年にかけて改修工事のため完全に閉鎖された。2005年と2006年には、州立庭園ショー(Landesgartenschau)の一環として、駅前の広場の一部がさらに改修され、デザインが一新された。
ははん、そういうことなわけですね・・・と、一人で腑に落ちる(笑)ベルリンには戦前「Lehrter Bahnhof」「Anhalter Bahnhof」「Hamburger Bahnhof」「Stettiner Bahnhof」「Ostbahnhof」など大きな駅がいくつかあり、いずれも戦災で破壊された・使われなくなった・役割が変わった・・・などしています。例えば Hamburger Bahnhofは今日では博物館として使われていますし、Ostbahnhofは Frankfurter-, Schlesischer-, Haupt-, Ost- などと名前が変わり役割も変わってきました。
このうち Lehrter Bahnhofは、ベルリンとハノーファーの一部 Lehrteを結ぶ Berlin – Lehrter 路線の始発駅だった訳ですが、戦災を受けて破壊され、東西ドイツ分割で永らく使われずに放置されてきました。今日、統一後にできた hauptbahnhofは正しくこの Lehrter Bahnhofの跡地に出来たのです。