誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(89)★★★アルテントレプトウ Altentrptow -2-

★★★ アルテントレプトウ Altentrptow -1- からの続きです

町の構造は比較的簡単で、トレンゼ川のどこか一点に扇の要があり、そこを頂点として扇が開いたように道路が湾曲してついています。地図はクリックすると拡大します。

歴史

アルトエントレプトフ近郊のトレンゼタールは、青銅器時代にはすでに定住地であった。考古学的発見がそれを証明している。

名称

この名称は、最初にTrybethowe トリベトウ(1175年)として言及され、その後、Trebutowe トレブトウ(1191年から)、Tributowe トリブトウ(1245年)、そして最終的に1254年から Treptow トレプトウとして言及されるようになった。1295年には Antiquum Treptow(旧トレプトフ)または Olden Treptow(旧トレプトフ)と呼ばれ、1300年頃の印章では Tribetowa(トリベトワ)と表記されていた。

この名称はスラブ語に由来する。語源の一つによると、トレプトフはスラブ語のdrowkaに由来し、林、雑木林を意味する。別の解釈によると、この地名は、個人名 Trebotaに由来する古ポラーブ語の Trebotovに由来する。 また、別の解釈も可能である。 Trebという古スラブ語の語根は、犠牲(犠牲の祭壇)または亜麻の破砕機を意味する。

ポメラニアの同名の町、Treptow an der Rega(ヒンターポンメルン)もポメラニアに属し、区別するために接尾辞が必要であるため、第二次世界大戦後に Polnisch Trzebiatówと改名された。

駅は、マルクト広場などから見ると一段高い丘の上にあり、そこから緩い坂道を下って街中に行くことになります。

建物の基礎の部分を見て頂くと、どのくらいの勾配かがお分かりいただけるかと思います。

Netto・・・Didlや Kauflandなどと並んで旧東独地域に広く展開しているスーパーマーケットです。

まだ坂道が続きます


郵便局にかつての郵便馬車が展示されています

1862年から 1902年まで 40年に亘って市長を務めた Rudolf Westpfalという人物を顕彰して道路に名前が冠されています。一番上にある地図をクリックして頂くと、ポスト通りの一本東側にあります。そのさらに東に Mauerstrasse(城壁通り)というのがあるので、このあたりはかつての城壁のまだ外側にあったのでしょう。

旧東独の町では洋服屋は「Mode」という名前が付いていることが殆どです。綺麗にリノベーションされてはいますが、東独時代の店構えが想像できる気がします。その向こうの靴屋(Schuhhaus)もそうですね・・・

Mauerstrasse(城壁通り)があります。このあたりにかつては城壁があったものと想像されます。

湾曲具合から扇形の道路が付いていることがわかります。

マルクト広場に到着です!

★★★ アルテントレプトウ Altentrptow -3- に続きます

関連記事

ページ上部へ戻る