誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(81)★★ グライフスヴァルト Greifswald -3-

★★ グライフスヴァルト Greifswald -2- からの続きです

聖ヤコビ教会を少し東に進むと、特徴のある教会が見えてきます。駅からも見えていましたが聖ニコライ教会です。

しかし・・・これまで多くの町を巡って来ての印象ですが、このあたりの教会って、大体は聖マリエンと聖ニコライのどちらかか、二つが対になっている感じです。勿論、聖ヨハニスとか聖ヤコビとか聖ミヒャエルとかもありますが、マリアとニコライが頭ひとつ抜けて数が多い印象です。こういうのって「定量化」したくなるんだよな(笑)

命名と守護:この教会の守護聖人は、船乗りと商人の守護聖人であるミラの聖ニコラスに遡る。 この守護聖人により、聖ニコラスは北ドイツ沿岸諸州で特に人気があり、守護聖人として広く用いられた。この教会は、聖マリア教会、聖ヤコブ教会とともにグライフスヴァルトの町並みを特徴づけているため、その高い塔から「長い聖ニコラス(langer Nikolaus)」とも呼ばれている・・・とWikipediaにあるけど、これなんかヒントなのかな?そういえば、かつて住んでいたリューネブルクにも聖ニコライ教会があり、その尖塔には「船の操舵輪」の輪っかが嵌まっていました。やはり航海の守護神といういわれだそうです。

↓↓ 確かに「Kleiner Jacob」「Langer Nikolaus」というのは言い得て妙だなあ(笑)あとで訪問しますが、左手の聖マリエン教会は「Dicke Maria」なんだろうか?(笑)

Von FNDE – Eigenes Werk, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=42205937

Dom St. Nikolai (Greifswald)

ニコライ教会の前身は 1249年に文書で記録されている。同時に、現在の教会の建設も始まった。聖マリエンと聖ニコライ周辺のいくつかの集落が合併し、エルデナ修道院の庇護の下、この地域は独立した教区となった。現在のニコライ教会は、1262年か 1263年に鐘が寄進されたという記録が残っている。これは、この教会がグライフスヴァルトで最も古い建築物であることを意味する。しかし、一部の著者は、最初の言及は寄進証書に関連する 1280年のみであるとしている。

教会が建設された理由は、聖マリエン教会周辺の旧市街と聖ヤコビ教会周辺の新市街を結びつけるという考えがあったからかもしれない。聖ニコライ教会は、おそらく建設当初から当時の都市支配階級と密接なつながりがあり、主に都市の商人たちによって利用されていた。聖ニコラス教会は、その初期の時代からすでにグライフスヴァルトの精神的な中心地であり、15世紀後半にはポメラニア公国の宗教的中心地にまでなった。(続きは Wikipedia参照)

このあと、メイン通りの Lange Strasseを東に進んでいきます

★★ グライフスヴァルト Greifswald -4- に続きます

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