誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(46):★★★バート・アーロルゼン Bad Arolsen -1-

ヘッセン州(Land Hessen)北部にある町「バート・アーロルゼン Bad Arolsen」をご紹介します。かつてのヴァルデック=ピルモント侯国の首都(宮廷所在地)で立派な城館が遺っています。

侯国も含めて非知名度は★★★でいいかと思いますが、調べてみたら意外と奥が深いです。また後述しますが、ここにはある調査ドキュメントセンターがありますが、日本人でそこに行って調べものをされる方がおられたとしたら、その分野でもかなりの専門家の方でしょう。鉄道でアクセスは ICE(DBの特急列車)が停まる Kassel-Wilhelmshöheでローカル線に乗り換えて約 1時間弱です。

Residenzschloss:Von Hubert Berberich (HubiB) – Eigenes Werk, CC BY-SA 3.0, ソースはこちら

Wappen Lage Data

私は 2022年 5月下旬から 6月上旬までの間、ドイツで開催された自分の関係する業界の2つの展示会の間が 2週間あったのを活用して鉄道でドイツのあちこちを放浪しておりました(笑)「明日どこに泊まるかは、今日の夕方決める」・・・みたいな、正に風来坊的な放浪でしたが、そんな中でもひとつ外せない目的は「ドイツ帝国(Deutsches Reich)を構成していたプロイセン以外の大公国・公国・侯国の首都(宮廷所在都市)をコンプ(リート)する」というものでした。

「ドイツ帝国」というと強大な中央集権国家をイメージしがちですが、実際にはプロイセン国王をドイツ皇帝として戴く連邦国家で、各領邦国家の歴史や独自性はそれなりに維持確保されていたと考えられます。

少し話題は逸れますが、Heiliges Römisches Reichは通常「神聖ローマ帝国」と訳されます。後半はハプスブルグ家が皇帝の地位を世襲したことで知られる、あの帝国です。また、ビスマルクの働きでヴィルヘルム皇帝を頂いて 1871年に成立した Deutsches Reich(ドイイチェス・ライヒ)」は、よく「ドイツ帝国」と訳されます。「(das)Reich ライヒ」という単語は日本語では「帝国」と訳されることで、ドイツ語の Reichに、日本語ごの帝国が持つイメージ=(皇)帝が統治する国と印象を重ねてしまいがちです。

また、第一世界大戦の終結時にヴィルヘルム2世が退位して成立した体制を「ワイマール共和国」と訳す例もしばしばみられます。この時、実は国名は Dueuches Reichのままで変更されなかったのです。日本語の「語感」からは「え?皇が退位して共和政になったのに、何故国名はドイツ『国』のままなの?」という疑問が生じるわけですが、それは Reichを「帝国」と訳してしまったことによって生じる誤解です。

実際には、ドイツの国名は、1871年から 1949年に Bundesrepublik Duetschkand(ドイツ連邦共和国:通称「西ドイツ」)と Deutsche demokratiscje Republik(ドイツ民主共和国:通称「東ドイツ」)が成立して分断国家となるまで、一貫して Deutsches Reichだったのです。「帝国」と訳すことで生じる誤解を避けるため「ドイツ国」という訳も定着してきています。

次回は、軽く街歩きをします。

★★★バート・アーロルゼン Bad Arolsen -2- に続きます

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