誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(47):★★★ゾンダースハウゼン Sondrshausen -6-

★★★ゾンダースハウゼン Sondrshausen -5- からの続きです

お城に行く前にもう少し街歩きをします。旧市街の東の住宅街を少し覗いて、南のギュンター通り・ランゲ通りに戻ります。集合住宅のビルは旧東独にありがちな様式の「Plattenbau(コンクリート板の建物)、旧市街を少し外れた通りの建物は未だに修復途上、あるいはその対象外のように見受けられます。

旧市街の東側には、旧東独に典型的な「Betonplattenbau(コンクリート板の建物)」と呼ばれる集合住宅が広がっていますが、見た感じ、このあたりのはまだ状態がいい方ですね。比較的最近の建物=東独末期=物資不足の中で建てられたもの・・・これらは皮肉なことに「新しいが故に、耐久性が無いので取り壊し対象」になったのです。

Cruciskircheは「14世紀に建てられたクルシス教会(聖十字架教会)は、ゾンダースハウゼンの街で最も古い建物」とされていますが、戦災による損傷で修復された跡が鮮明です。

↑↑ メインの通りを少し外れると、結構立派な建物もこういう感じです。右隣の建物は修復されていますが、その右の建物はまだ未着手のようです。どういう優先順位の決め方なのでしょうか?ただ、税金を投入して修復しても有効に使うことが出来なければ何のために修復するのか?・・・難しい問題はあるのでしょう・・・

↓↓ もう少し近くに寄って撮った写真です

ゾンダースハウゼンにある「三位一体教会 Trinitatiskirche」は、福音ルーテル派の教会で、侯爵の居城である宮殿とともに、町の最も重要な建築物の一つである。かつてはシュヴァルツブルグ・ゾンダースハウゼン家に仕え、内部に支配者を置く宮廷教会であった。最後の末裔は、付属の霊廟に埋葬された」とのことです。

「1174年には既に Sundreshusunに礼拝堂があった。その場所は不明である。現在の Trinitatiskircheの場所には、Andreaskircheがあったが、1608年に取り壊された。1620年、新しい教会は荘厳に奉献された。1621年 6月 3日の町の大火で焼失し、17世紀後半に建て直しが行われた。現在の建物構造は、17世紀にさかのぼる。1890/91年、東側にネオ・ゴシック様式の王族埋葬用礼拝堂が増築された。1890/91年、1931/32年、1987年から1997年にかけて、教会の改修と建て替えが行われた。」

Herrschaftsstand und Chor:Von ErwinMeier – Eigenes Werk, CC BY-SA 3.0, ソースはこちら

Die neue Hey-Orgel im Prospekt von 1680:Von ErwinMeier – Eigenes Werk, CC BY-SA 3.0, ソースはこちら

ゴットシャルクハウスは、かつて町の宮殿だった場所で、18世紀に建てられたバロック様式の宮殿で、先史時代は14世紀にまでさかのぼります。ゾンダースハウゼンで最も古い家屋の一つで、有名な作曲家やロー・オーケストラの指揮者たちの家として、文化史的な意義を持っています。

また、テューリンゲンの観光サイトには「1699年からシュヴァルツブルグ・ゾンダースハウゼン公国に、1721年からゾンダースハウゼンの町に居住していたゴットシャルク家は、公国の高官、特に弁護士を輩出していた。彼らは1729年に町の壁の上にある土地を取得した。宮廷顧問官ゲオルク・カール・ルートヴィヒ・ゴットシャルク(1733-1805)は、1774年から1776年にかけて、建築家ヨハン・フリードリヒ・ルドルフ・シュタイナー(1742-1804)の手でロココ様式の宮殿を建設させた。宮廷指揮者マックス・ブルッフ(1838-1920)は、1867年から1870年までここに住んでいた。この間、有名なヴァイオリン協奏曲第1番(作品26)を完成させた。」とあります。

この三位一体教会(Trinitatiskirche)のある Lange Strasseは一通りの修復はなされたとはいえなんとも枯れた通りですが、ある音楽家の親子が暮らしていたというプレートが取り付けられた家屋があります。

Heinrich Nikolaus Gerberとその息子 Ernst Ludwig Gerberで、J.S.Bachや Mozartほどには知られていませんが、父親の方はある時期 j.s.Bachにオルガンを習ったこともある宮廷オルガニスト、息子の方はその職を引き継ぎつつ、その後、音楽史の研究に没頭し、『Historisch-biographisches Lexikon der Tonkünstler』を出版したとのことです。

著作は、現代音楽研究の資料としても重要で、特にドイツの作曲家に関する詳しい情報は、彼の百科事典に掲載されており、ゲルバーが豊富な蔵書を売却したウィーンの音楽愛好家協会の資料室には、彼の著作が多く保管されている・・・との解説が独語 Wikipediaにあります。


Pastorengebäude(牧師の官舎)と呼ばれるこの建物は保存対象であり、解説プレートには「プファール通りの建物は、シュヴァルツブルク・ゾンダースハウゼン公国の教会と学校制度の密接な関係を象徴するものだった。19世紀末までは、この通りには学校だけでなく、牧師、学長、カントール、オーバーキルヒナーなどの公邸があった。」とあります。

ニコラス・ディートリッヒ・ギゼケ(1724-1765)とゴットフリート・クリスチャン・カンナビッチ(1745-1830)は、その息子ヨハン・ギュンター・フリードリヒ(1777-1859)がここで育ち、後に地理学者として大きな功績を残したが、この家に住んでいたとのことです。

★★★ゾンダースハウゼン Sondrshausen -7- に続きます

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