- 2022-2-10
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泊ったホテル「Pilgrim Haus」は seit 1304(1304年創業)と 700年以上続く老舗のようです。日本でいえば鎌倉時代の末期あたりの創業ということになりますかね。Pilgrim Hausということは「巡礼宿」なんでしょうが、今日では特段そんな宗教っぽい雰囲気は感じません。しかし、レセプションのところにあったものは・・・
以前に見かけたのはこちら「ゲルリッツ(Görlitz)」の Gaststätteの看板でした。また、後で Wikipediaを調べていて知ったのですが「アイレンブルク(Eilenburg)」の古地図にある Via Regiaもその関係です。
ゲルリッツとアイレンブルクの章で触れましたが、これは独語では「Jakobsweg(ヤコブの道)」、日本では通常「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」と呼ばれる道で、ヨーロッパのいたるところから、スペイン北西部ガリシア地方にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂へと続いています。そして、その巡礼路や巡礼宿には「ホタテ貝(Jakobsmuschel)」がシンボルとして使われるのです。
狭義には、フランスからスぺイン北部に入ってからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの道を「Camino de Santiago(サンティアゴ(へ)の道」とするようですが、所詮は「巡礼路」なので、そこに繋がる各国の主要・定番の道は「巡礼路」とされています。下の地図はドイツ国内・ウェストファーレンの Jakobsweg(e)です。Jakobswegで検索するといろいろな情報サイトにヒットします。
ローマ、エルサレムと並んでサンティアゴ・デ・コンポステーラはキリスト教の三大聖地と呼ばれるそうですが、ローマとエルサレムはさておき、なんでまたスペインのはずれ・・・というかヨーロッパのはずれのこんなところが聖地?日本語 Wikipediaから引用すると:
「伝説によれば、イエスの十二使徒の1人である聖ヤコブがエルサレムで殉教したあと、その遺骸はガリシアまで運ばれて埋葬されたとされる。813年、現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラで、隠者ペラギウスは天使のお告げによりヤコブの墓があることを知らされ、星の光に導かれて司教と信者がヤコブの墓を発見したとされる。これを記念して墓の上に大聖堂が建てられた。
サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の記録は、951年のものが最古である。11世紀にはヨーロッパ中から多くの巡礼者が集まり、最盛期の12世紀には年間50万人を数えた。こうした巡礼の広がりは、中世ヨーロッパで盛んだった聖遺物崇拝によるところが大きい。
また、巡礼は当時イベリア半島を支配していたイスラム教国へのレコンキスタとも連動した。ヤコブはレオン王国などキリスト教国の守護聖人と見なされ、「Santiago matamoros」(ムーア人殺しのヤコブ)と呼ばれるようになった。キリスト教国の兵士は戦場で「サンティアゴ!」と叫びながら突撃したという。キリスト教国の諸王は巡礼路の整備や巡礼者の保護に努めた。
巡礼は、スペインとスペイン外のヨーロッパの文化をつなぐことにもなった。巡礼者の中には建築家もおり、彼らはヤコブに捧げるために、巡礼路に沿った都市にロマネスク建築による多くの教会や修道院を建てた。
レコンキスタの完了や、百年戦争、三十年戦争による混乱によって衰えた時期もあったが、巡礼は現在まで続いている。現在の巡礼者のスタイルは、徒歩、自転車、車などさまざまである。また、ガリシア州政府は観光の目玉として巡礼路をアピールしている。」・・・とあります。更に詳しくは Wikipediaを参照ください。独語 Wikipediaはこちらです。
ちなみに、ここでいうヤコブとはこういう人物ですが、英語版を読んでいて今更ながら気が付きましたが St.Jakobは英語では St.Jamesとなるんですね!
こういう場所って、実際に行ってみたくなるんですよね~!・・・ということで、実際に行ってきました(笑)2019年 12月、ポルトガルのポルトで仕事があった際に、歩いたわけではなく、ズルをして(笑)ハイヤーを雇って一泊で行ってきました。部屋から大聖堂が見える、修道院を改装したホテルに泊まってその昔に思いを馳せました。圧倒的です!定番観光地を巡るヨーロッパの旅ではちょっと不便ですが、ポルトガルやスペインに行くことがあれば是非足を延ばすことをお勧めします。
↑↑ ということで、これは巡礼路のスタンプラリーのスタンプとスタンブ台です。これも 1304年からあったんですかね?(まさかね(笑))
↓↓ ウェストファーレンの最古の宿屋ということです
★★★ゾースト Soest -4- に続きます