国境あちらこちら(6):ポーランド・ロシア国境 その6

国境あちらこちら(5):ポーランド・ロシア国境 その5からの続きです

さてこの項の完結編です。Braniewoからバスに乗って約 7kmのところにある Frombork Kopernicaという終点で降ります。Fromborkはドイツ領時代には Frauenburgと呼ばれ、あのニコラウス・コペルニクス(ポ語:ミコワイ・コペルニク Pl-Mikołaj Kopernik.ogg Mikołaj Kopernik 1473年2月19日 – 1543年5月24日)が聖堂参事会の尚書や副助祭として、文書管理や金融取引の記録を行うなど多くの仕事をする一方、フロムボルクの聖堂付近の塔で天体の観測・研究を続けた場所なのです。

コペルニクスは例の「コペルにクス的転回」で知られる地動説の祖として名高い天文学者として知られていますが、実際には「経済学においても、貨幣の額面価値と実質価値の間に乖離が生じた場合、実質価値の低い貨幣のほうが流通し、価値の高い方の貨幣は退蔵され流通しなくなる (「悪貨は良貨を駆逐する」) ことに最初に気づいた人物の一人としても知られる。コペルニクスはまた、教会では司教座聖堂参事会員(カノン)であり、知事、長官、法学者、占星術師であり、医者でもあった。暫定的に領主司祭を務めたこともある」・・・そんないわば天才的な人物なのです。(Wikipedia)ポーランドの殆どの町には「コペルニクス通り」があるほど尊敬を集めている人物です。

マリアの被昇天と聖アンドレアス大聖堂(ポーランド語: Bazylika Archikatedralna Wniebowzięcia Najświętszej Maryi Panny i św. Andrzeja Apostoła)またはフレンブルク大聖堂は、フロムボルク(ドイツ語: Frauenburg)にある教会であり、エルムランド大司教の座堂および小バシリカです。この教会にはニコラウス・コペルニクスの墓が安置されています。

実際行ってみるとその内装の凄さに圧倒される大聖堂ですが・・・なんでこんな大聖堂がこんな辺鄙な場所に?・・・いえいえ逆ですね!かつてはダンツィヒとケーニヒスベルクというメジャーな交通路のの中間地点にあり辺鄙でも何でもなかったところ、勝手に国境線が引かれその文化的つながりを遮断してしまったので辺鄙な場所になったのです。

この事情はゲルリッツ近郊にある「辺鄙な」マリエンタール修道院と同じ事情です。あそこもいまでこそドイツなのに鉄道ではポーランド側からしかアクセスが出来ない辺鄙な場所ですが、設立された時はシュレジエンの真ん中にあり、まさか将来ナイセ川が国境になるなんて想像さえしていなかったのです。

なお Wikipediaによれば「死後コペルニクスは埋葬されたものの、どこに埋葬されているのかは不明だった。コペルニクスの墓は、各国の学者によって2世紀にわたって捜索が続いていた。こうした中、シュチェチン大学などのチームがコペルニクスの主な任地であったフロムボルクの大聖堂で2004年から発掘を進め、大聖堂の深さ約2メートルの場所から2005年夏、遺骨を発見した。この遺骨は肖像画と頭蓋骨が互いに非常に似ていて、時代と年齢もほぼ一致していたので、遺骨がコペルニクスのものである可能性が高まった。2008年11月、シュチェチン大学とスウェーデンのウプサラ大学との共同で、この遺骨と、ウプサラ大学で4世紀以上も保管されていたコペルニクスのものとされる本に挟まっていた2本の毛髪とのDNA鑑定を行い、両者のDNAの一致によりこの遺骨がコペルニクスのものと最終的に認定された」・・・この大聖堂はコペルニクスの墓所でもあるのです。

国境あちらこちら(7):ポーランド・リトアニア国境 その1に続きます

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