三十年前のドイツ(27):1989年9月中旬の状況

ハンガリーに滞在していた東独市民は、ハンガリー政府の人道的措置によって西側に脱出することができた一方で、プラハやワルシャワの西独大使館に駆け込んだ人達の扱いはまだ不透明なままです。一方でチェコ経由でハンガリーに向かおうとする東独市民は、身分証を没収されたり強制送還されたりと、東独と歩調を合わせるチェコ政府の措置で徐々にハンガリーに到達し難くなっていきます。それでも不法にハンガリーへと越境するものは後を絶たず、プラハの西独大使館には再び500人を超える東独市民が立て籠もり、情勢は厳しくなっていきます。

こうした中、教会会議は、市民に対しては、逃亡などの行為は政府側が暴力に走りかねないので自制を求める一方、政府に対し自由選挙や旅行・出国の自由などを求めて対話をする勢力となろうとしていきます。市民運動団体の Neues Forumもまた、東独政府に改革を求める野党勢力として公式の承認を申請します。しかし東独政府の態度は頑なで、ライプツィヒのの月曜デモも力で制圧し、市民団体の承認申請も「反国家的」だとして却下します。

【1989.9.17 日曜日】

ハンガリー経由の出国者はまた増加し、週末に約 1,400人が到着、更に 600人が到着予定と西独の国境警備隊が発表しています。

一方で、チェコ政府は東独市民のハンガリーへの出国を制限する動きをし始めており、東独市民の身分証や旅行許可証を没収したり、列車から降ろして強制送還したりしているという報告が、ハンガリーに到着した脱東者から支援団体のマルタ騎士団にもたらされます。

バイエルンの CSU(キリスト教社会同盟:西独政府与党 CDUの友党)の党首 Theo Waigelは、東独政府に「このままでは革命的な爆発が起こる恐れがある」と、改革を促し、また西独外務大臣の Dietrich Genscherは、欧州共同体(当時は EC)による東側ブロックへの支援は、単に食料などだけではなく、投資やマネージャーの要請なども行う必要があると述べています。

【1989.9.18 月曜日】

この24時間で、更に 750人が西独に入国したとのことです。またチェコの39歳の医師が自作の軽飛行機で西独に越境し、政治的な迫害を理由に難民申請したとのこと。

一方、チェコスロバキア経由でハンガリーに入る方法は更に難しくなりつつあるとの報告で、チェコの国境係官のコントロールが厳しくなり、中には送還されるのを恐れてドナウ川に飛び込み溺死した青年もいたとのこと。

プラハの西独大使館でのルポ映像が流れ、先週の東独の Vogel弁護士の説得により、駆け込んだ東独市民の内、一旦は 200人前後が大使館から出たものの、再びその前の人数位に増えているとのこと。女性がインタビューに答え、身分証を没収された状況などを話しています。帰国した場合は罪に問わないという東独政府の保証をもらっても駆け込む人が増え、緊張の度合いは増しているとのこと。

ワルシャワの西独大使館にも 110人ほどが駆け込んでおり、大使館は閉鎖されたこと、ポーランド政府は人道的な道を探るため外務省にワーキンググループを設置したこと、未確認情報ながらブルガリアのソフィアの西独大使館にも同様に逃亡を試みて駆け込んだ東独市民がいること・・・などが報じられています。

【1989.9.19 火曜日】

ワルシャワの西独大使館に駆け込んだ東独市民の様子が撮影されています。続いて在ワルシャワ西独大使の Schoeller氏が公用車の中からインタビューに答えています。大使館内に104人、その他に16人の東独市民が脱東を目指して待機していること。ポーランド政府も人道的・現実的な措置を模索しているがまだ見通しは立っていないこと。現実的な措置とは西独に出国させるという意味か?という問いには、それははっきり言えないとのこと。大使館は閉鎖されているが、塀をよじ登って越えて駆け込むのはどうか?という問いには、それは貴方(インタビュアー)の考えであって、私の考えではないと苦笑い。

マゾビエツキ首相を初めとしてポーランドの政権幹部は戦時中、人権を蹂躙された被害者であり、人道的な措置を講じたいというのは疑問の余地はないが、東独政府との間に不要な摩擦起こしたくないという側面もあるとの記者のコメントです。

プラハの西独大使館には 500人の駆け込み者がおり、内 300人は最近駆け込んだ者であること。状況は悪化しつつあること。チェコスロバキア政府はハンガリーとの国境警備を厳しくし、旅行許可証を持っていても通してくれないとか、数百メートルおきに武器を持った兵士を配置したことなどが報じられています。

民主化を求める声は更に大きくなっています。

【1989.9.20 水曜日】

ワルシャワの西独大使館に駆け込んだ東独市民の一部は、カトリック教会が用意した施設に移動することになったとのことです。この際、東独への送還の恐れはないことを保証したとのこと。ポーランド政府は西独と東独のどちらの顔も立てようと模索しています。ただ単純に西独の要望通りにいかないのは二つの理由があります。一つは社会主義友好国の東独が反対していること、もう一つはポーランド経済がいろいろな側面で東独に深く依存していることです。西側諸国にモノを輸送するにも東独の領土を通過する必要があります。西独大使館には「当面の間閉鎖」の札が掲げられますが、一日100人ほどのポーランド人が西独への旅行ビザを申請するのに支障をきたしています。

プラハの西独大使館に駆け込んだ東独市民の扱いについても解決策が見えません。この間、人数は500人以上に増加しています。チェコ・ハンガリー国境に不法にやってくる人数も増えています。ハンガリーのマルタ騎士団が運営するキャンプで、何人かがインタビューに答えています。ハンガリーへの旅行は管理が厳しくなっており、ビザが有っても何回も検査されたり、中には東独に送還されたりするとのこと。違法にビザなしで国境を越えてきた人もいます。

その後、東西の有力政治家達のコメントや動きなどが紹介されます。

【1989.9.21 木曜日】

社会主義統一党(SED)の機関紙 Neues Deutschlandはここにきて更に明らかに厳しい論調で西独の姿勢を「人身売買だ」などと批判しました。また教会会議の政府に改革を求める決定についても、干渉だと断じています。

東独政府の姿勢はあくまで頑なで、ノイエス・フォールムの合法化申請も却下します。

ハンガリーがオーストリアとの国境を開放して以来、既に 18,000以上の東独市民がそこから出国したとのこと。プラハの西独大使館の塀を違法に乗り越えて立て籠もっている東独市民は 500人を超え、そのうち子供が 170人含まれるとのこと。ワルシャワでも人数は 100人程度いるとのことです。

西独のゲンシャー外相が、国連総会の機会を利用して、東独のフィッシャー外相と面会する予定だと伝えています。

西独の緑の党が、東独の政府と話す姿勢を見せていますが、政府に反対する勢力を全力で支えると言っています。東独の国家としての地位については干渉しない姿勢です。民主化を求める勢力は支援するが、ドイツ統一という動きは否定しています。FDPや SPDなどは、西独政府とは別に、緑の党が東独政府と接触する動きは混乱を招きかねないので支持しないようです。

【1989.9.22 金曜日】

民主化運動団体のノイエス・フォールムは公式団体としての認可を拒否されたことで、逮捕覚悟で裁判所に訴えを起こしたということ。また、音楽家や文筆家が民主化を求めて声を上げているということで、東ベルリン特派員からの報告に続きます。

ノイエス・フォールムが認可を求めたことについて、東独政府は迅速に動き、それを拒否します。理由は東独憲法に違反すること、国家に敵対する組織を作ろうとするものだからということ。ということで、今後ノイエス・フォールムのメンバーは逮捕されたり、最高で十年の禁固刑が科せられる恐れがあるとのことです。

次にこの運動の中心人物の一人、ベーベル・ボーライ(Bärbel Bohley)が紹介されます。この中で、この運動は憲法違反でも国家に敵対的でもないと言っています。ライプツィヒの月曜デモが人民警察によって妨害される様子などが放映されます。ロックミュージシャンなども民主化を求め、社会主義を続けるためにも民主化が必要だと主張しています。そんなかで次週月曜日にホーネッカー書記長が公務に復帰するということです。

かつての東独のスパイ組織の長 Wolf氏が、南ドイツ新聞のインタビューに答えて、民主化や違う意見を聞くことが必要とコメントし、現状の脱東者の波に心を痛めているとコメントし、改革が必要だとしています。

プラハの西独大使館に駆け込み立て籠もっている東独市民の数は更に増加し、未確認情報ながら 608人にのぼり、その内子供が 200人とのことです。ワルシャワの西独大使館には 104人、更に 30人が元宗教施設に保護されているとのこと。

バイエルンの Weidenにまた脱東者の団体が、ハンガリーからオーストリア経由で到着、国境警備隊の兵舎に収容された様子、ハンガリーの国境開放以来、18,500人が西独に入国したこと等が報じられています。

三十年前のドイツ(28):1989年9月下旬の状況に続きます

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