誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(35):★シュヴェリーン Schwerin -8-

★シュヴェリーン Schwerin -7- からの続きです

今回はレストランやカフェについて、ほんの一部ですがチェックしてみようと思います。まずは 1990年 5月、まだ旧東独(ドイツ民主共和国)が国家として存在していた時期に訪問したときの記録をご紹介し、最近とのギャップを見てみましょう。最近のものは3軒しかご紹介できませんが、いずれも由緒あるレストランやカフェです。

Gastronomie auf Mecklenburger Straße (1990.5)

「歩行者天国となっているメクレンブルク通りをお城に向かってブラブラあるくと、右手に HOの軽食屋があります。Gastronomieと書いてあったのを、ソ連駐在経験がある上司が見つけて「お!」と・・・ロシア語でも「ガストロノミヤ(гастрономия)」と似たような発音をするようです。小腹も空いたので中に入ってみます。」

「コーヒーマシンにはちょっと行列ができています。ステンレスのシンクには多分炭酸水と思われる瓶、その左手には牛乳、いちご牛乳のような飲料。もうひとつコーヒーマシンがありますが「Ausser Betrieb(故障中)」・・・あるあるです(笑) その奥にはお皿に乗った作り置きの料理(Kaltes Essen)、左にカメラを振ると暖かい料理(warmes Essen)です。暖かい方は多分「Bratkartoffeln + Bratwurst(ジャガイモの炒め物とグリルソーセージ)」あたりと思われます。柱に「SPEISEN」とあって料理名と価格が書いてありますが、残念ながらぼやけて読めません。

最後はカイザーゼンメルを半分に切って、各種のソーセージのスライスを載せたもの。値段は 0.45Mあたり・・・西独の DMと東マルクの公式交換レートは1:1だったけど、闇市場での実勢レートは 1:7~1:14と言われていました。その間をとって DMに換算すると・・・0.05DM!更に円換算すると「5円」ということになります。音声データが飛んでしまったのが残念ですか、価格表をじっくり撮っていたらオバちゃんに「ダメダメッ!」怒られて、慌ててビデオを止めたので妙な終わり方をしています。」

ちゃんと探せば・・・例えば外国人向けや社会主義統一党幹部御用達の高級レストランなどを探せば、西側と同じような洗練されたレストランもあったのかもしれません。でも、そういうのは恐らく東ベルリンに集中していて、西側観光客など期待していなかったシュヴェリーンあたりだと、そういうものを探すのも至難だったのではないでしょうか・・・

Restaurant Hotel Niederländischer Hof

↓↓そしてこれは、それから 28年後の 2018年 5月、泊まったホテル Hotel Niederländischer Hofのレストランです。5月だったので「お約束のシュパーゲル」です。この記事を書いている 2021年 10月時点ではコロナ禍の影響で、レストランは営業を休んでおり、朝食のみが提供されるかたちとなっているようです。

Café Prag

↓↓ Schloßstraße(17番)と Puschkinstraße(64番)が交わる角にある建物には「Café Prag」があります。

建物は「1909年に建てられたこの 4階建ての歴史的な住宅兼商業施設は、プシュキン通りに面した高くて特徴的な段差のある切妻と、角にある 2階建ての出窓が特徴で、ベティ・クレフトのために、建築家ルートヴィヒ・クレヴェの設計に従ってクレヴェ建設会社によって建てられた。また、丸いアーチ型の窓やエントランスもデザインの特徴となっている。1階のレストランの他に、7つのフラットがあった。建物は 1990年と 1994年に補修されている。」と解説されています。

「1755年、ヨハン・ゴットロブ・ヘリングが宮廷の菓子職人に任命された。1791年にカール・フリードリッヒ・レオポルド・クレフトがシュヴェリーンの菓子店を引き継ぐまで、ファッハベルクのバロック様式の家にある彼の菓子店とカフェは何度か経営が変わった。C.クレフト社は 5世代にわたって経営され、時には宮廷菓子職人としても活躍した。1899年から 1919年までハウスを運営していたベティ・クレフトは、1909年に新しい建物の建設を依頼した。 1936年、カール・クレフトは建物を州に売却した。このカフェは、先代の菓子職人ロイターによって引き継がれた。

1948年には「Café Intourist」、1952年には「HO-Betriebsstätte Einheit」、1958年からは「Café Einheit」、1959年からは「Restaurant Café Prag」と呼ばれていた。正面に描かれたカレル橋とプラハ城がそれを明確に示している。シュヴェリーンでチェコのビールが飲めるのはここだけ。カフェにはクレフト家の絵画が展示されている。

再統一後、有限会社がレストラン「カフェ・プラーク」を引き継ぎ、2007年まではヴォルフガング・ヒルデブラントが経営していたが、現在(2008年から)はマルグリット・ヒルデブラントとトーマス・ヒルデブラントが経営している。」・・・という歴史のあるカフェです。そうと知っていたら 1990年 5月にも訪問したところですが、当時はそんな情報は皆無でした。

Weinhaus Wöhler

「1750年頃、フィッシャー通りとケーニヒス通り(現在のプシュキン通り)の角にあるこのファッハベルクの 2階建ての家は、宮廷のセラー・マスターであるブラウンヴァルトが建てたもの。1819年、ワインの卸売業者 F. A.Wöhlerはこの家を買って使っていた。大規模な改造を行い、現在も使える客室やワイン酒場などを建設した。

1901年、ハインリヒ・ツー・メクレンブルク王子とオランダ・オレンジ・ナッソー王女、オランダ・ウィルヘルミナ女王のシュヴェリンでの結婚式はここで行われた。1908年にはオランダ王室の「宮廷御用達」となり、1914年にはメクレンブルク=シュヴェリン大公夫人マリーと、メクレンブルク=セシリエの夫であるプロイセン皇太子ウィルヘルムの宮廷御用達となったのである。

現在の装飾的なファサードは1927年に建てられたもの。ワインハウスは人気があり、シュヴェリーンの伝統の一端を担っていた。1959年に国有化されたワインハウスは、1953年からテナントが管理している。1970年代から 80年代にかけて、必要な保守作業が行われなかったために荒廃し、1983年には倒壊の恐れがあるとして閉鎖された。

1997年になって、投資家が勇気を出して、老朽化した建物を確保し、予備的な構造調査を開始し、都市開発資金の申請を行い、2001年までに 800万マルクの補助金を受けて、現在必要な大規模な改修工事を実施した。その過程で、屋根裏をホテル用に改造し、この部分を近代化して 2014年には 12室に拡張した。」(独語 Wikipedia)

なんと、この由緒ある建物も倒壊の危機にあったんですね!よかった、よかった!現在のホテルとワインハウスのサイトはこちらです。

200周年のパーティのようです

★シュヴェリーン Schwerin -9-に続きます

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