三十年前のドイツ(28):1989年9月下旬の状況

この週は大きなことが起こります。プラハの西独大使館に駆け込む東独市民は日に日にその数が増加し、ついに 2,700人に達します。秋も深まって寒くなり、天候も悪く、大使館の庭でのキャンプ生活も限界に達しています。赤十字や支援団体などが支援をして食料や衣料品などの心配は無いのですが、トイレなど衛生面が大変です。仮設トイレを設置しても、水圧が不十分とのことです。

東独政府は相変わらず頑なで、全く態度を変える気配を見せませんが、その間に西独政府とゲンシャー外相はソ連政府、チェコ政府、ポーランド政府などに「人道的解決」を図るよう働きかけを続けます。特にゲンシャー外相は文字通り東奔西走・・・この人、心臓にペースメーカーを入れているんです!

9月29日、ニューヨークの国連総会で東独は「侵略的だったドイツ帝国は1945年に没落した。その後に二つのドイツが建国された。「人道的」などという上位概念をでっち上げてその枠組みを壊そうなどとはもってのほかだ!東独は路線変更などしない!」と西独を厳しく批判します。その裏で、ゲンシャー外相はソ連のシュワルナゼ外相と会談し「取り敢えず、今プラハの大使館に駆け込んで滞在している東独市民を人道的見地から出国させようではないか」という合意を取り付けます。後ろ盾のソ連のお墨付きを貰い、チェコ政府、ポーランド政府も合意します。

そして、翌日30日、ゲンシャー外相はアメリカからとんぼ返りでプラハに赴き、西独大使館の二階のバルコニーからこのことを東独市民に伝えるのです。その時の熱狂ぶりを記録した動画がこのページの最後に貼り付けてあります。

【1989.9.23 土曜日】

【1989.9.24 日曜日】

【1989.9.25 月曜日】

【1989.9.26 火曜日】

【1989.9.29 金曜日】

【1989.9.30 土曜日】

【1989.9.30 土曜日、プラハの西独大使館のバルコニーから、東独市民に「西独への移動が可能になった」と伝えるゲンシャー外相と、それを聴いた市民の熱狂】

三十年前のドイツ(29):1989年10月上旬の状況に続きます

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