- 2025-3-20
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★★★ パーゼヴァルク Pasewalk -5- からの続きです
町の南のはずれまで行ってまた引き返します。町はずれには結構興味深いものがあるのです。
Googleで調べると「Union Filmtheater Pasewalk」ということですが、休館しているのか廃業したのか、使われているフシはありません。社内主義の時代にはこういう劇場や文化会館(Kulturhaus)のような施設で様々なイベントが開催されたものと想像されますが、今では廃墟化しているものが多いようです。例えばナウエンの劇場や、ゲルリッツの KULTURHEIMなどにその例を見ることができます。
パーザヴァルクのプレンツラウ門は、この都市を取り囲む城壁に元々あった4つの門のうちの現存する2のうちの1つである。15世紀半ばに建てられたゴシック様式の3階建てレンガ造りの門は、石の土台の上に建てられ、プレンツラウに通じる道を守っていた。高さ25.6メートルのこの門は、四角い土台と尖頭アーチの通路がある。 都市側と野原側には、1階と 2階の上の2フロアに尖頭アーチのブラインドが並んでいる。
19世紀初頭には、かつての段状の切妻屋根が寄棟の鞍屋根に置き換えられた。1996年以降、塔と隣接する建物は市立博物館の所在地となっており、この博物館では、建築家ポール・ホルツを記念する展示も行われている。門と隣接する建物はガラス張りの階段でつながっている。
パーゼヴァルクのキーク・イン・デ・マルク(低地ドイツ語で「風景を眺める」の意)は、中世の市壁の防御塔であり、パーゼヴァルクのシンボルとされている。この塔は、市街地の南部にある「アム・キーク・イン・デ・マルク」通りの南端に位置している。
この構造物は、突出した銃眼を備えた多層構造の円形レンガ塔で、漆喰が塗られていない八角形のヘルメットを備えている。塔の頂上にはコウノトリの巣がある。
高さ 20.2メートルの塔は、4.6メートルの側面を持つ野石でできた正方形の土台から始まり、急角度で円筒形へと変化している。
この要塞塔は、1445年にブランデンブルク選帝侯フリードリヒ 2世による包囲攻撃を撃退した後に建設された。彼は、自らの領地内の都市の自治を制限しようとした。伝説によると、パーゼヴァルクの住民が、その後の軍事行動で捕虜となった約 200人をプレンツラウに連れてきたと言われている。彼らは高額な身代金が支払われた後にようやく解放された。パッサウの住民はこの身代金を使って、当時「キーク・イン・デ・マーク」と呼ばれていた街の南側の城壁に塔を建設した。
↑↑ こういう感じに建物は今でも残っているのが旧東独ですねえ。↓↓ これも典型的な旧東独の Plattenbau(プレファブ)です。
★★★ パーゼヴァルク Pasewalk -7- に続きます