誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(33):★★★ナウエン Nauen -4-

★★★ナウエン Nauen -3- からの続きです

引き続き町を歩きます。場所が分からない時は、やはり Wikipediaの「Liste der Baudenkmale in Nauen」が役に立ちます。こういう情報の整理はやはりドイツ流ですね。

Mittelstrasseから右折して Kirchstrasseに入ると、Martin-Luther-Platzにあるのが St.Jacobi教会です。町に向かって歩いた Dammstrasseの延長上に見えた尖塔はここのものです。

写真を撮り忘れたので Wikipediaから借用します。

「聖ヤコビ教会の歴史は中世末期に遡る。15世紀初頭、正確には 1400年頃、ナウエンの人々は、建築的にはレンガ造りのゴシック様式に属する(Backsteingotik)教会を建設した。祭壇を備えた聖歌隊席が完成したのは、それから半世紀後の15世紀後半のことである。宗教改革の流れの中で、16世紀にはプロテスタント化が進んだ。17世紀末には火災で建物が焼失し、1695年に信徒たちが礼拝所を再建した。その 12年後の 1707年には、高さ 55mのバロック様式のドームを持つ塔がオリジナルの下部構造に加えられた。19世紀末には、1874年に Heerwagen工房で製作されたオルガンが教会に導入された。」

Nauen St. Jacobi Südfassade.JPG
Von Assenmacher Eigenes Werk, CC BY-SA 4.0, Link

↑↑ Kirchstrasseを直進して Goethestrasseに突き当たるとこの建物が目に入ります。↓↓ よく見るとファッサードに「ベルリンの熊」のレリーフがあります。建物に「XXXXX HOF」と書かれているので、あてずっぽうで「Nauen Goethestrasse 54a Berliner Hof」で検索するとビンゴ!2020年 9月 25日付のこういう記事にヒットして、ここが修復されることが分かりました。よかった、よかった!ここにも「市の広報」があります。

左の写真は Goethestrasseで、左手の家の並びに「切れ目」がありますが、そこが Kirchstrasseと Goethestrasseが交わるところです。従って、その切れ目の向かい側に↑↑の「Berliner Hof」がある訳です。

切れ目から左手2軒目の家はかつてシナゴーグがあった場所で、階段を上がってドアの右手に四角いプレートが取り付けてあるのが確認できます。

ドイツ語圏のユダヤコミュニティに関する膨大な情報を網羅的に集めたこちらの研究サイトによれば「1800年頃、ナウエンのユダヤ人コミュニティは、当時のポツダム通り(現在のゲーテストラッセ)にシナゴーグを設置しました。1855年の春、ナウエンの新しい地区シナゴーグ共同体が形成された。1894年までは、クレメン、ナウエン、シュパンダウの3つの地域共同体で構成されていたが、ナウエンとシュパンダウの小共同体は、それぞれ独自の教師とカントール Kantor朗詠者)を持ち、保護局(Schächtamt)の役割も果たしていた。」とあります。それがこの家だということです。

「19世紀初頭まで、ナウエンのユダヤ人コミュニティの死者はベルリンに埋葬されていたが、1820年頃、ヴァインベルグに別の埋葬地が作られた。16世紀には既に、町から遠く離れたナウエンにユダヤ人の墓地があったと思われる。」更に詳しい情報はこちら

この写真がいつ撮られたものかは分かりませんが、シナゴーグの建物や道路の様子からは綺麗にリノベーションが施されているように見え、Berlier Hofのリノベーションも着手・完了していることが期待されます。

↑↑ こういう経路を歩いています。クリックすると拡大します

↓↓ この Goethestrasseを南に歩くと、右手に重厚な建物と、ちょっと変わった書体が目にはいります。


Landratsamt
Von Clemensfranz – Eigenes Werk, CC BY-SA 3.0, Link

↑↑ Havellandという地方自治体の支所ですね。かつては貯蓄銀行(Sparkesse1)や林業銀行?(Forstkasse)だったようで、今も Sparkasseが入っています。

1888年から1891年にかけて完成したネオゴシック様式の煉瓦造り(backsteingotik)建物の市庁舎

↓↓ ちょっと離れると市庁舎 Rathausとの位置関係はこんな感じです。

↑↑「Theater der Freundschaftは、ナウエンの Ketziner Straße 32という街の中心部にあり、1955年にオープンした。この建物は、H.P.リヒターによる社会主義古典主義のスタイルで設計された。映画館のスクリーンのほか、ステージや吹き抜けなどがあり、主に映画館として使われていた。大講堂は 380席の収容力があった。また、42席の小さなシネマ・カフェと、展示用の小さなギャラリーが併設されていた。1977年には、建築家の V.ブラントによって映画館が改装された。ドイツ民主共和国時代の映画上映の入場料は 1東マルク、長編映画は1.50東マルクだった。1991年頃の所有者は「Märkische Kino-Union GmbH」、その後、運営体制は何度か変更された。

1997年から 1998年頃に通常営業を終了。それ以来、この建物は誰もいなくなってしまった。この建物は、1993年 8月 25日以降、ブランデンブルク州の歴史的建造物に指定されている。それ所有者も度々変更された。空きビルを映画館として再利用することを目的とした改修計画は、改修工事が始まった 2010年頃に早々と頓挫してしまった。歴史的建造物保護局の要請により、崩壊の危険性があるため、屋根を交換する必要があった。市の文化政策において、この物件は、ナウエンの文化的・市民的生活を再編成するための、常に繰り返される出発点となっている。

映画館の建物は、古典的なフォルムのフラットルーフのエントランストラクトと屋根裏のようなパラペットが特徴的である。通り側のファサードは、高い窓とピラスターストリップで構成されている。3つの部分からなるエントランス・ポータルは、具象的なレリーフで飾られている。1950年代のドイツ民主共和国の文化的建造物の典型的な例である。」

う~ん・・・これも修復を期待したいですね~。↓↓ 旧東独時代の動画があります

★★★ナウエン Nauen -5- に続きます

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