誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(34):★★★アンガーミュンデ Angermünde -4-

★★★アンガーミュンデ Angermünde -3-からの続きです

Berliner Strasseを進んで行き、右に折れる Rosenstrasseとの角の所あたりです。え?なんで?そんなワケはないだろ?不思議な建物が目に入ってきます。いや、でもロゴは確かにアレだぞ?東西統一で解体されたんじゃなかったの?どういうことだ?





うん、やっぱりそうだ!旧東独の国営小売店チェーンの「HO」のロゴマークだ!しかし、あれは 1990年の東西ドイツ統一の頃に解体されたのではなかったの?HOについては「Trade Organisation(HO)は、ソ連占領地域(SBZ)で人民財産(Volkseigentum)という法的形式で運営されていた国営の小売会社で、共産主義崩壊後に解散するまでドイツ民主共和国で継続された。食料品から日用品まで、生活に関わるすべての分野を対象としていた。と Wikipediaにあります。

Logo
Von unbekannt – selbst gezeichnet, Logo, Link

もう一つ「KONSUM」というのもあって、こちらは「Konsumは、ドイツ民主共和国の消費者協同組合のブランドでもある。各協同組合は、食料品店、生産工場、レストランなどを運営していた。」ということです。こちらは「Konsumgenossenschaftenは、ドイツ民主共和国ではすでに民間企業であり、約450万人の会員に独占的に帰属していたため、1990年以降は Treuhandanstaltの管轄外となった。統一後、これら198の消費者協同組合が合併し、55の地域に根ざした消費者協同組合が誕生した」・・・と解体を免れ「統一後も「Konsum」はブランド名として存続している。東ドイツの各州には、いくつかの地域協同組合があり、「Konsum」という名前で支店を運営している。」という説明があります。

Konsum DDR.svg
Von unbekannt – selbst gezeichnet, Logo, Link

Berliner Strasseと Rosensntrasseの角地にある HOは、いろいろ検索しても、経緯に関する有力な情報は得られませんでした。この写真でも既に「Asia Shop」という文字も見えたり、「Obst-Gemüse」などのポスターも見えているところから、アジア系の人がやっている小売店であろうとは想像されます。また、こういうポスターは、デザインなどからそれなりにプロの仕事と思われるので、仕入れルートを握った組織が、チェーンとかフランチャイズ展開しているのかもしれません。

現在、この場所を GoogleMapで検索してみると Asia Imbissとなっていてこういう情報にヒットします。

しかし、それにしても・・・1990年に解体された「HO」・・・それから私が訪問した 2016年まで 26年もの風雪に耐えて、まだ壁に書かれたロゴが残っている・・・どういうことなんでしょうねえ?ちょっと謎です。

↑↑ ↓↓ 謎といえば、こういう中古バイクの部品と思しきものをショーウインドウに並べている店・・・このやる気の無さはなんだろう?(笑)アンティークの店でもなさそうだし・・・

↓↓ 下の写真の建物は ↑↑の青で囲んだ建物です。St.Marien教会のすぐ前にあります。

いろいろ検索してみると、この建物に以前入居していた学校の関係者が、同じくこの建物で学んだ先輩たちに昔の話を聞きたいと情報を求めている地元紙の記事にヒットしました。それによれば「100年以上前から、キルヒガッセでは子供たちが読み書きや計算を学んできました。何世代にもわたって生徒たちがここで学校に通っています。19世紀に男子小学校(Knaben-Volksschule)として建設された建物は、1945年以降は統一学校として存続し、1960年にはポリテクニック中学校となり、壁崩壊後は Kirchgasse 2の部分だけが Puschkin小学校の本拠地となりました。 過去 15年間は、国が認めた改革教育のためのオルタナティブスクールである Freie Schule Angermündeが使用していました。歴史を感じさせる家です。」・・・とあります。

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記事ソース

時代の目撃者を探しています

Freie Schule Angermündeの生徒たちは、旧 Puschkinschuleの建物の歴史について語ることができる現代の証人を探しています。全学年が参加するこのプロジェクトは、歴史的な場所にある Freie Schuleの 15歳の誕生日に向けたものです。

2016年5月25日 07:50時間-Angermünde ダニエラ・ウィンドルフ
キルヒガッセ3番地にある学校の古い部分は、何年も空き家になっていました。生徒たちは歴史を調べています。
© Photo: MOZ/Daniela Windolff

100年以上前から、キルヒガッセでは子供たちが読み書きや計算を学んできました。何世代にもわたって生徒たちがここで学校に通っています。19世紀に男子小学校として建設された建物は、1945年以降は統一学校として存続し、1960年にはポリテクニック中学校となり、壁崩壊後はキルヒガッセ 2の部分だけがプシュキング小学校の本拠地となりました。 過去15年間は、国が認めた改革教育のためのオルタナティブスクールである Freie Schule Angermündeが使用していました。歴史を感じさせる家です。

Freie Schuleの子どもたちは、社会の変化を反映したこの歴史の真相に迫りたいと考えています。”生徒たちは好奇心旺盛です。彼らは、この古い壁の中で学んだり教えたりした人々のライフストーリーをもっと知りたいと思っています。中には彼らより半世紀も前に学んだ人もいます」とフランツィスカ・テナーは説明します。美術教師であり、ドキュメンタリー映画監督でもある彼は、Freie Schuleの学校創立記念日に立ち上げられた現代の証人プロジェクトを担当しています。学生たちは、ここで学校に通っていた人や、教師として働いていた人を探しています。フランツィスカ・テナー氏は、小中学校の全学年を対象としたこのプロジェクトの目的について、「個人的な経験や物語を通して、現代の歴史やさまざまな形態の社会、教育システムを垣間見ることができます」と説明します。生徒たちは、この建物の歴史に関する資料や文書を集め、同時代の目撃者にインタビューをしたいと考えています。また、自分の家族の歴史を調べることもできます。

このようにして、ショートフィルム、プロフィール、ショートバイオグラフィー、フォトドキュメンタリー、ポートレートなどが作成され、最終的には学校の記念日である 9月中旬に開かれる予定の展覧会につながるのです。コンテンポラリー・ウィットネス・プロジェクトは、歴史に命を吹き込み、ドイツ語から歴史、政治教育からアートまで、学際的な学習を可能にします。また、「out of school, into life」というモットーのもと、子どもたちは接触恐怖症を克服し、自分で調べてみることも必要です。

15年前、Freie Schule Angermündeは、1912年に増築された Kirchgasse 2の建物の新しい部分に移転しました。学校の古い部分である Kirchgasse 3は、長年にわたって空き家になっていました。2010年に Freie Schuleの後援会がこの建物を購入し、2016年末から改修して校舎として使用する予定です。このようにして、歴史的な街の中心部にある重要な都市部の学校のアンサンブルは、再び活気に満ちたものになります。生徒たちは、現代に至るまでの波乱万丈の歴史を自分たちの手で探求したいと考えており、自分たちの経験や知識、古い文書や道具を提供してくれる多くの人々の支援を望んでいる。その最初の機会が、木曜日に学校で行われる、50年ぶりの元プーシキンの生徒たちのクラス会です。
連絡先 XXXXX , 学校事務局, tel.XXXXX ; XXXXX@freie-schule-angermuende.de

まだ、以前にここに入居していた Puschkin Schuleは現在別の場所に移転し、そのホームページには学校のコンセプトとしてこういうことが書かれています。

「安心して通える半日制小学校」のコンセプト 1. 考慮された教育的な目的 社会的要求

特に、私たちのような構造的に弱い地域では、学習の場としての学校は、子どもたちの家庭環境の欠陥にますます対応しなければなりません。生活環境や家庭内の環境構造が変化したことで、子どもたちが社会的な接点を持ち、自分自身を整理することがますます困難になっています。

さらに、安定したコンタクトを提供し、社会的学習を可能にし、学習や余暇の機会を提供する変化した組織形態が重要になってきています。つまり、学校は自分自身を再定義し、再構築することを学ばなければならないのです。今日の学校では、文化的・社会的な違いに対応し、重要なスキル、オリエンテーションの知識、メディア能力を教える学習が必要です。このような学習プロセスには、通常の時間割では考えられないほどのスペースと学習機会が必要です。」・・・(以下略:関心がおありの方は Puschkin学校のサイトをチェックください。

ここで言う「構造的に弱い地域・子どもたちの家庭環境の欠陥」とは、賃金水準が低い・失業率が高い・共働きが多い(そもそもドイツは多いですが・・・子供を誰が面倒見るか問題)・移民や外国人の家庭も多い・・・などを指すものと思われます。そういう状況に合わせて、学校もその役割や在り方を模索している状況が感じられます。

★★★アンガーミュンデ Angermünde -5-に続きます

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