誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(34):★★★アンガーミュンデ Angermünde -3-

★★★アンガーミュンデ Angermünde -2-からの続きです

街歩きを始めます。駅前に2種類の案内看板がありましたが、いずれにしてもその昔は城壁に囲まれていたと思われる形で、その中の通りの数もさほど多くはありません。頑張れば「全道路踏破」も出来そうです(笑)

↓↓ 画像はクリックすると拡大します →→

↓↓ こんなルートを歩いてみました。クリックすると拡大します。

右の碑は、駅からすぐの小公園に入り口にあり、旧東独によくあるソ連赤軍兵士の慰霊碑と思われます。ロシア語とドイツ語が併記されているのかと思いきや、ロシア語だけでした。

下のはドイツ語だけですが「死んだ者達は生きている者達に(忘れないように)リマインドする」というような意味です。比較的新しいもののようです。

Wikipediaによると「1938年のポグロムの夜、クロスター通りのシナゴーグは焼き払われた。Puschkinalleeにあったユダヤ人墓地も破壊された。第二次世界大戦末期の 1945年 2月 22日、ドイツ国防軍の脱走兵として 3人のドイツ人兵士が絞首刑に処せられた。1965年以来、フリーデンスパーク(平和公園)には彼らを記念する石が置かれている。1945年 4月 27日、パン職人の Miersと宝石商の Nölteは、Schwedtに繋がる道で迫り来るソ連軍に遭遇し、短い交渉の後、戦わずして町を明け渡した。このようにして、アンガーミュンデは戦争による破壊を免れた。しかし、市場広場にあった戦争記念碑は、同年、ソ連の占領軍の命令により、徴集されたドイツ人達によって取り壊されなければならなかった。」・・・とあります。1965に設置されたものにしてはやや新しく見えますが・・・

ドイツには(ヨーロッパ各地には)第一世界大戦の戦没者慰霊碑があちこちにあります。右の写真は Golzowという村のものですが(文字のプレートだけが新しいのは、第二次大戦のことも付け加えたからでしょう)、こういうものを破壊せよと命令されたということなんでしょうね・・・残念・・・

これは後付けで Wikipediaを読んで知った話ですが「短い交渉の後、戦わずして町を明け渡した。このようにして、アンガーミュンデは戦争による破壊を免れた。」とあります。独語の表現で「verschont bleiben」という表現の変化形が出てくれば、破壊されずに無傷で残ったということなので、ちょっとホッとします。また、例によって「Liste der Baudenkmale in Angermünde」が役に立ちますね~!有難いです。

↓↓ Berliner Strasseです。遠くの方にマリエン教会が見えています。

↓↓ Heilig-Geist-Kapelle (Angermünde)です。「アンガーミュンデの聖霊礼拝堂は、15世紀に建てられた礼拝堂です。煉瓦ゴシック様式に属するこの礼拝堂は、三十年戦争で破壊された旧聖霊病院の唯一の残存建物です」・・・なんだそうです。三十年戦争って 1618-48年なので、無理やり例えれば「関ヶ原の戦い(1600年)で、その地域で唯一破壊されなかったお寺」・・・って感じでしょうかね(笑)

↓↓ しかし・・・人が歩いていませんね~!土曜日の午後なんですが・・・

★★★アンガーミュンデ Angermünde -4-に続きます

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