お気に入りのホテル(3):Hotel “LOUIS C.JACOB” Hamburg -その2-

シリーズ3回目は北ドイツはハンブルグの HOTEL LOUIS C.JACOBです。

このホテルが密かに有名なのは、ドイツの絵画史上で重要な役割を果たした Max Liebermannがここの庭を描いたことによります。下の絵は 1902年に描かれた「Terrasse des Restaurants Jacob in Nienstedten an der Elbe」(エルベ川沿いのニーンシュテッテンにあるレストラン・ヤコブのテラス)というタイトルです。ハンブルグの Kunsthalleという美術館に所蔵されています。

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By Max Liebermann – Freunde der Kunsthalle Hamburg, Public Domain, Link

Max Liebermann 1904.jpeg
By Jacob Hilsdorf – パブリック・ドメインLink

Max Liebermannは「ドイツの画家でベルリン分離派創立者の一人である。(中略)1920年から1932年までプロイセン芸術院の総裁の地位にあり、プール・ル・メリット勲章を受章、ベルリン名誉市民に推挙されるなど老齢ながらドイツ画壇に君臨した。(中略)しかし1933年のナチ党の権力掌握後、かれはユダヤ人の出自によって非難されるようになり、芸術院からもナチス体制へどのような態度を取るか問いただされた。1933年5月、彼は芸術家が出自や政治という要素によって非難されるような状態では芸術院にとどまることはできないと名誉総裁の称号を返上した。発表の機会や栄誉をすべて失ったリーバーマンは1935年に世を去ったが、数十年にわたりベルリン市の名士で芸術院の重鎮でもあった彼の葬儀に立ち会ったのは、ケーテ・コルヴィッツら数名だけであった。」(Wikipediaより)・・・とあるように、ナチスのユダヤ人迫害によってその地位を失ったドイツの画壇の重鎮だった人という訳です。

ナチ党員による Fackelzug(松明行列):
Max Liebermannの住居はブランデンブルグ門のすぐ右手の建物

上の写真はどこかで見たことがあるのではないかと思いますが、ヒトラーが政権を(選挙で合法的に)掌握したことを祝って、ナチ党員が行った松明行列です。ユダヤ人の Max Liebermannはブランデンブルク門の右手にある自宅のバルコニーからこれを観ていたということです。このシーンをテーマにした短編小説が、ノーベル賞作家ギュンター・グラスの「私の世紀」という小説の 1933年のエピソードに出てきます。

左はドイツ語の原書で、右は翻訳本です。この本は、方言やらもう使われなくなった死語などが多用され、インテリのドイツ人には理解できても、非ドイツ語(ドイツの二十世紀の歴史を背負っていない言語)に翻訳するのが非常に厄介なんですが・・・下記にこの章の大野による要約を書いておきます。Max Liebermannと画廊の女主人が右手の建物のバルコニーからこの松明行列を見下ろしているシーンです。画廊女主人の回想として書かれています。

「Hitlerが政権を獲得したというニュースがラジオから流れてきたときは、従業員の Berndと軽食をとっていたときで半分聞き流していた。Schleicherの退陣以来、もう「彼(Hitler)」しかいなかったのだから。私は驚きはしなかったが、政治にこれっぽっちも興味の無かった Berndは「逃げなくちゃ!」と慌てていた。いわゆる「頽廃芸術」とされる Kirchner, Pechstein, Noldeらの作品の一部はアムステルダムに疎開させてあったが、あのマイスター(Liebermann)のはまだ手許にあった。それは頽廃芸術という範疇ではないがマイスターがユダヤ人と言うだけで危険にさらされていた。街ではSA(ナチスの暴力組織)が松明行列の準備をし、群衆が集まる異様な雰囲気の中、胸騒ぎのした私は店を閉め Brandenburg門の側にあるマイスターの家に急いだ。到着したとき松明行列が始まったようだ。マイスターとその妻 Marthaは屋上に、これから旅立つかのように帽子と外套を身に着け下の通りを見ていた。彼らはここから1871年の普仏戦争の凱旋も、1914年の大戦への進軍も、1918年の革命的な水兵の部隊の行進も見ていたのだ。喧噪の松明行列を見下ろしながらベルリン訛で「反吐が出る程、こんなに沢山は食えないな」と呟いた。私と Berndが逃げたアムステルダムに逃げようと促そうとしたが言葉が出ず、彼らもまたその意志はない様だった。私の手許にあった彼の絵は、その後比較的安全な(好ましくは無いけれど)スイスに移された。Berndは私から去っていった。あ、これはまた別の話だわ...」

この話の語り手(画廊の経営者)は女性か男性かが、男言葉・女言葉があまり顕著ではないドイツ語の文章からは読み取りにくいのですが、おそらく Liebermannに最後に会ったとされる Anita Danielだろうと想像されますし、それでストーリーに整合性があります。ところが、この訳本では語り手が「男」になっていて、ストーリーに整合が取れません。ボーッと翻訳してんじゃないぜ(笑)

庭の様子は当時とは少し変わっていますが、エルベ川を見下ろす高台や、緑の菩提樹の葉などの印象は当時の面影をよく残しています。
↓↓クリックするとスライドショーになります。

“HOTEL LOUIS C.JACOB” ホテルの公式サイトです。

お気に入りのホテル(3):Hotel “LOUIS C.JACOB” Hamburg -その1-からの続きです。

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