- 2025-2-6
- ブログ
メクレンブルク=フォアポメルン州のマルヒン Malchinをご紹介します。
上の地図はクリックすると拡大します。前回ご紹介したテーテロウは地名が上手く表示されていませんが、青い鉄道路線の左端、赤い〇で囲んだところです。そこから少しノイブランブルグ方向に引き返したところにあるのがマルヒンです。人口は 7,000人ちょっと・・・前回ご紹介したテーテロウが 8,000人強ですからそれより少し小さいということになります、
マルヒンの非知名度?ここも★★★でいいでしょう。知っている人・行ったことある人は表彰します・・・賞金はあげませんが(笑)
町の構造はシンプルで、駅を出て歩いて 100mも南下すると町の入り口があります。ほぼ円形をした町を真直ぐ突っ切って 500mも歩けば町の出口です。
一般にドイツの駅は町外れにあり、駅から町の入り口まで 2kmくらい歩くのが普通ですが、こういう町は楽でいいなあ(笑)
所謂「繁華街」というのは無くて、GoogleMapで見ると町の真ん中のマルクトに薄黄色のエリアがある程度です。ちょっと休憩がてらビール呑もうにも、居酒屋なんて無いんだろうなあ(笑)
Wappen | Lage | Data |
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独語 Wikipedia
公式サイト:Stadtではなく「Amt」というより小さい行政単位ですね
メクレンブルグ=フォアポメルン州の案内サイト
マルヒン駅
1863年、プロイセン領内のシュテッチン – シュトラスブルク(ウッカーマルク)間が最初に開通し、その後間もなくメクレンブルク領内のギュストロー – テテロウ – マルヒン – ノイブランデンブルク間が開通した。当時、フリードリヒ・フランツ鉄道の本社はマルヒンの駅の近くに置かれていた(この建物は 1921年より税務署として使用)。そのため、小さな町にこれほど大規模で象徴的な駅舎が計画されたのだろう。
2階建て、17の車軸、歴史主義的、レンガ造りの建物は、両側に3階建ての翼棟が 2棟あり、中央には切妻屋根の正面玄関がある。この建物は、1864年に Grunderzeit様式で建設されたもので、単線の鉄道線路用であった。
改装された駅舎には、現在、さまざまな企業のオフィスやメクレンブルク・スイス観光協会、レストラン、キオスクが入居している。
ヴァーレン – マルヒン間の路線は1879年に開通した。この路線の旅客サービスは 1996年に廃止され、1998年に路線は閉鎖された。
マルヒン – ダルグン間の路線は 1907年に追加され、この駅は乗換駅となった。鉄道管理局は、大公国メクレンブルク・フリードリヒ・フランツ鉄道として運営されていた。この路線の旅客輸送も 1996年に廃止され、1997年に路線は閉鎖された。
2022年には、RE 4 リューベック-ビュツォフ-ノイブランデンブルク-パーゼヴァルク-シュチェチン(城門ライン:Stadttore-Linie)がマルヒンを通っている。
マルヒン郵便局
マルヒンの Poststraße 1、Kalensche Torの隣にあるマルヒン郵便局(旧帝国郵便局)は、1886年に建てられた。この建物は文化財に指定されている。
国家郵便事業の始まりは、16世紀初頭のメクレンブルク公のメッセンジャー制度であり、手紙やその他の品物を徒歩または乗馬で運ぶ専門のメッセンジャーがいた。その後、駅と特定の時間を持つ固定ルートで馬車を使用するようになった。彼らは 16世紀末には郵便配達人と呼ばれていました。1663年には、ギュストローとノイブランデンブルクを結ぶ民営の(借地権付き)駅馬車が走っていました。1701年からは、国営の郵便サービスが開始された。
マルヒンのハーブロンネン通りには、旧郵便局があった。郵便局長フォン・ザイデヴィッツが最後に管理した。
この 2階建ての歴史主義的レンガ造りの建物は、1886年に帝国郵便局により、Grunderzeit様式で一等帝国郵便局および電信局として建設された。 3階建てのコーナー部分と 2つの 3階建ての切妻リザリットが印象的である。
1900年頃、郵便局は Postdirektor Schultにより管理されていた。その後、ヨルゲスとシュミュールが後任となった。1922年には、上級郵便局長ダーリングが率いる第 2種郵便局となった。1899年から 1930年までは、電話交換はまだ手動で操作されていた。
ポスト通り(B 104)は、バーンホフ通りから東のゲーテ通りまで伸びており、線路があるため、一部は片側だけに建物が建っている。