- 2025-2-6
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駅から 100m足らずのところに城門が遺されています。
カレンシェス門(Kalensches Tor)
カレンシェス門は、メクレンブルク=フォアポンメルン州のマルヒンの町を取り囲む城壁の4つの門のうちの1つである。 町を取り囲む城壁の門としては最も保存状態の良いものである。
15世紀に建てられたこのゴシック様式のレンガ造りの建物は、構造が複雑で、単一勾配屋根と部分的にガラス張りのレンガが特徴である。 当初は二重門として建てられたが、1837年に一部取り壊しが始まりまった。 通行路の高さを上げるために、主要な門が取り壊されました。 19世紀まで刑務所として使用され、1900年に修復された。現在、カレンシェス門はこの町で最も重要な観光名所のひとつとなっている。
門の名称は、おそらく門が面している方向にある(アルト)カレン地区に由来すると思われる。また、門の名称は、近くの修道院に居たカランド兄弟(Kalandsbrüdern)に由来するという説もあるが、これはあまり可能性が高いとは言えない。
町の側から見るとこんな感じです。下のサムネイルはクリックするとスライドショーになります
どうでしょう、この街並みは?被爆撃都市不動産鑑定士(笑)の私としては「第二次大戦で徹底的に破壊された町:ランク A-」くらいを付けたいところです。以前、ザクセン=アンハルト州のツェアプスト(Zerbst)という町の章でも書きましたが、町の真ん中にマルクト広場でもないのに荒涼たる空き地があるのは、その一角が爆撃や砲撃で完全に破壊されてしまったとみてまず間違いありません。
加えて、建物に Fachwerk(木組みの家)が見当たらず、味気ない社会主義的集合住宅ばかりです。残念ですね・・・
後で再掲しますが、Wikipediaの町の歴史の項目に「第二次世界大戦中には、マルヒンとその周辺地域で、数百人の捕虜やドイツ占領国の女性・男性が強制労働に従事させられ、多数が死亡した。1945年4月30日の赤軍侵攻後、市街地の古い住宅の約 4分の3が放火により破壊され、約500人が自殺した」とあります。
ここから僅か 10kmほどしか離れていないテーテロウは、恐怖からの自殺者は数百名にのぼったものの、町は破壊を免れほぼ無傷で残っていることを考えると不運としか言いようがありません。またデミーン(Demmin)のケースは映画にもなったので突出して有名ですが、テーテロウでも、ここマルヒンでも数千人の人口に対して約1割に当たる 500人規模の人達が自死しています。生き残った人達も掠奪・暴力・強姦・放火などの憂き目にあっています。
比較的軍規がしっかり維持されていた米軍や英軍が西から攻めて来て占領された地域では、こういう話をあまり聞きません。そういう意味でも(ソ連での戦死者が2千万人にものぼり、復習心に燃えたソ連赤軍に占領された・・・)不運としか言いようがありません。