誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(97)★★★ボイツェンブルク Boizenburg/Elbe -6-

ボイツェンブルク Boizenburg-5- からの続きです

さて、町を歩き回ってみます。地図の画像はクリックすると拡大します。まあ、一辺が 100mあるかないかの四角、あるいは丸、あるいは台形みたいな恰好の町なので大した手間ではありません。全部の通りを歩くことも可能です。

このあたりは Klingsberg Strasse から Markttor Strasseにかけての道路で、かつてリューネブルクからこのボイツェンブルクにクルマで来て、更にその先に行くために必ず通った道なのでよく憶えています。当時はボロボロだった建物も、よくここまで復旧したよなあ・・・と感無量です。

ドイツで初のタイル博物館」と書いてあります。独 Wikipediaには「ボイツェンブルクは、「タイルの街」という名称を追加して、タイルの街ボイツェンブルクとして観光面でより成功したマーケティングを行うことを計画しています。この街がタイルと関わりの深いという、この地域ならではの特色を活用する予定です。ボイツェンブルクは、1930年代にはヨーロッパ最大のタイル生産地であり、東ドイツ時代には VEB Kombinat Fliesen und Sanitärkeramik „Kurt Bürger“ Boizenburg(ボイツェンブルク・クルト・ビュルガー陶磁器・衛生陶器コンビナート)の本拠地でした。ボイツェンブルクにはタイル博物館があり、街中には数多くのタイルやタイルの壁画があります」という記述があります。

これは内陸船の進水式の模様を描いたタイル画です。実はこの町はタイルと並んで内陸船の造船所が主要な産業だったのです。造船所が最終的に倒産して解散したのは 1998年なので、1990年以降に国境が開いてから 1998年まで何度もこの町に来たことがある私にも、ここは「内陸船造船所の町」としての印象が残っています。

右上にあるのはいかにも東独らしい図案の、造船所のロゴです。造船所は 1793年から 1998年まで続きました。詳細は独語 Wikipediaにあります。

ボイツェンブルク Boizenburg-7- に続きます

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