誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(90)★★★パーゼヴァルク Pasewalk -4-

★★★ パーゼヴァルク Pasewalk -3- からの続きです


「中世の中心街は楕円形に形成され、聖ニコラス教会(1176年に言及)のある、ヴェンド人が開拓した下町と、それに隣接するドイツ人入植者によって開拓された新しい上町(聖マリア教会)から構成されていた」・・・スラブ系の部族(ヴェンド人)が作った「下町」から南下して、ドイツ人入植者が開拓した「上町」のほうに歩いていきます。

ん?このあたりに漂う何とも言えない違和感・・・ここで「戦災被災都市不動産鑑定士」の私の勘が働き始めます(笑)この町はかなり手酷く破壊されたに違いない・・・

独語 Wikipedianiよれば「第二次世界大戦中、1945年4月25日と26日の赤軍の攻勢により、この都市は深刻な被害を受けた。市街地の大部分が破壊された。戦後数年間は瓦礫の撤去にほぼ専念することとなった。再建は1948年に始まった。1955年までに 160戸の新しいアパートが建設され、1955年から 1961年にかけてさらに 278戸が建設された。

1961年以降、パーゼヴァルクでは大型ブロック工法も採用された(1962年から 1966年にかけて 803戸の新しいアパートが建設された)。1957年から 1965年の間に、1800万MDNを投じて、市の南端に新しい総合病院(現在のアスクレピオス・クリニック)が建設された」とあります。

第二次大戦の勝敗が実質的には決し、ベルリン陥落に向けてソ連赤軍が最後の進軍を続けていた過程で、この町には 1945年 4月25/26日に到達して町を破壊し尽くし、その後 4月 28/29日にはノイブランデンブルクを、30日にはデミンを徹底的に・・・戦術的には無意味な破壊を行い多くの自殺者を出すのです。

その後、復興する際に建てられた集合住宅はご多分に漏れず、社会主義思想に基づく設計がなされます。言いようのない違和感・・・というか、そういうものばかり見てきた私の目には奇妙な親近感が湧いても来るのです。

ここに見えている低層(平屋)の店舗や消防署らしきものは典型的な社会主義建築ですね

Weiberwirtschaft?女性専用の居酒屋か?(謎)

 

★★★ パーゼヴァルク Pasewalk -5- に続きます

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