誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(90)★★★パーゼヴァルク Pasewalk -7-

★★★ パーゼヴァルク Pasewalk -6- からの続きです

マルクト広場まで戻って来ました。聖マリエン教会はここに隣接しています。一見ラートハウスに見える建物は、実はラートハウスではないんですね・・・私は「この町に行った」というのは「ラートハウスの写真を撮った」というのを一応の目安としているのですが、これがラートハウスではないということになると、探さなくちゃいけないんだな!面倒(笑)

なんだか、こんなに威風堂々としていて、かつマルクト広場に面していて、これがラートハウスでないと言われてしまうと、ちょっと途方にくれますね(笑)

この町出身の偉人?の様です

Erich Hermann Paulun (* 4. März 1862 in Pasewalk; † 5. März 1909 in Shanghai):海軍の軍医、上海の医学大学の設立にも貢献した

Paul Holz (* 28. Dezember 1883 in Riesenbrück bei Pasewalk; † 19. Januar 1938 in Schleswig):デッサン画家

Oskar Picht (* 27. Mai 1871 in Pasewalk; † 15. August 1945 in Rehbrücke):盲人用点字機の発明者

Hugo Lemcke (* 5. Dezember 1835 in Pasewalk; † 8. August 1925 in Stettin):歴史家、1873年から1925年までポメラニア歴史・古代史協会の会長を務めた

紋章: 赤地にグリフィンの頭部3つ(2:1)、それぞれ赤い舌を出し、武装し、金色、2つずつ 2列に並ぶ。グリフィンの頭部は、1321年にこの都市が保護を求めたポメラニア公オットー 1世、ヴァルティスラフ 4世、バルニム 3世を指す。この紋章は第一次世界大戦後に A. ヒルデブラント教授によってデザインされた。それは、メクレンブルク=フォアポンメルン州の紋章の 第63号として登録された・・・鳥ではないんですよ!

「1938年11月9日、グーラベン通りのシナゴーグが放火されました」

「1945年5月8日に破壊されたパーゼヴァルクを経験した人々は、この街に未来があるとは信じられなかったかもしれません。パーゼヴァルクの人々やこの街にやってきた人々は、時代の挑戦を受け入れ、過去の廃墟の上に新しいパッサウを築き上げました」

やはり Plattenbauばかりですね・・・Fachwerkは見当たりません。

久しぶりに子供を見た気がします。でも、独り遊びの様でした・・・

★★★ パーゼヴァルク Pasewalk -8- に続きます

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