- 2021-6-30
- ブログ
前項では、戦災で灰燼に帰したマクデブルクの戦後復興に際し「Sozialistische Stadt」というコンセプトで社会主義的理想の町づくりを目指した Breiter Weg(Karl-Marx-Straßeと改名された)を取り上げました。今回もその流れですが、ちょっとテイストの異なる建築様式を採りあげます。Breiter Wegの北端に直角に交わる Ernst-Reuter-Alleeにそのオブジェクトはあります。ここは、社会主義時代には Wilhelm-Pieck-Alleeと、旧東独最初にして最後の大統領の共産主義者「ヴィルヘルム・ピーク」の名前を冠していましたが、東西統一後、社会主義者でかつてこの町の市長も務めた「エルンスト・ロイター」にちなんで改名されました。この通りにある建物のスタイルは、独裁者スターリンの好みだったとされています、
↑↑ これは、泊まったホテル MARITIMを出てすぐの Otto-von-Guericke-Straßeから北の方角を眺めたところです。通りの右手奥に、白とクリームイエローの建物が2つ確認できます。↓↓ 下の航空写真(GoogleMap)は、そのあたりにフォーカスしたものです。左手に南北に伸びるのが Otto-von-Guericke-Straßeですが、それと直角に交わる Ernst-Reuter-Alleeの入り口に二つの建物が一対の門の様にあるのが確認できるかと思います。また前項で解説した Breiter Wegは航空写真の真ん中やや右手に南北に伸びて Ernst-Reuter-Alleeと交差しています。
↓↓ これは Breiter Wegが Ernst-Reuter-Alleeに交差する地点から見える風景です。この感じの建物・・・どこかで見たことがある気がしませんか?まあ、私は「コンクリート製の電柱」が旧東独時代のものかどうかに関心があるのですか(笑)
↓↓ 上の建物の1階部分を近くで撮ったものです。う~ん、あれだな、やっぱり(笑)
↓↓ 同じ建物を昼間に撮ったものです。以下に同じような画像を並べますが、スライドショーにするより、ダイレクトに見て頂いた方がインパクトがあると思う次第です。
Gemeinfrei, Link
いかがですか、この「既視感」?そう、これはベルリンの Karl-Marx-Alleeをモデルとして建てられた建物群で、その様式は Sozialistischer Klassizismus(社会主義的古典主義)と呼ばれます。日本語では「スターリン様式・スターリンゴシック」などと呼ばれることも有ります。旧ソ連の独裁者スターリンが好んだ建築様式とされ、彼が存命中に東側ブロックで盛んに建てられた様式です。共産主義にまだパワーがあった時代で、部材もそれなりにしっかりしたものが使われていると見えて、今日まで補修されながらちゃんと生き延びています。その後の世代に採用された「Plattenbau」は、大量生産を旨とし部材は粗悪なものを使ったため、東西ドイツ統一後にかなりの数の建物が取り壊されて、その跡地に新築の建物が建てられたのです。当時、旧東独では「都市計画の16原則」という指針が示され、」それに沿った街づくりが行われたのです。
↓↓ 既視感が無い方には、是非ベルリンの Karl-Marx-Alleeを歩いてみられることをお勧めします(日本語 Wikipediaはこちら) スターリンが愛した建築様式 Sozialistischer Klassizismus(社会主義的古典主義)がどういうものかを体感できます。ベルリンもマクデブルクも、こういう建物が建てられた当時は、その道路は Stalin-Alleeと名付けられていました。その後、スターリンの失脚・死後にベルリンのは Karl-Marx-Alleeと改名され、今もその名称を維持、マクデブルクは Wilhelm-Pieck-Alleeと改名され、更に東西統一後に Ernst-Reuter-Alleeとなりました。
こういう建築様式、独裁者スターリンと結びつけて「好き嫌い」が論じられがちですが、私は「時代の空気」を反映・体現した建築様式として関心がありますし、正直申せば「好き」な部類かと思います(笑)
↓↓ ベルリンの Karl-Marx-Alleeにある建物です。
工事中の場所の向こうに見えるのは KARSTADTというデパートで、旧東独では「Centrum Warenhaus」と呼ばれていました。こういう外壁装飾も旧東独に独特な様式です。
マクデブルク Magdeburg -6- に続きます