誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(75)★★★ ペルレベルク Perleberg -2-

★★★ ペルレベルク Perleberg -1- からの続きです

駅前にいきなりなにやら気になる建物があります。なんでしょうか?

廃墟・・・ではないみたいですね。こういう建物って気になるんですよ(笑)

GoogleMapで赤丸で囲ったこの建物を調べてみると「Gartenanlage Perleberg」とあります。ググってみたのですが、どうやら「Kleingarten」という小さな土地と小屋を所有して楽しむ組織の事務所が入居しているようです。Kleingartenについては山ほど書くことがあるので、取り敢えず独語 Eikipediaで我慢ください(笑)

この建物自体の由緒はよくわかりません。ドイツ(人)の凄いところは Wikipediaに町ごとに「Liste der Baudenkmale in Perleberg」なんという「意味のある建築物の写真と説明をリスト化したサイト:があることです。この建物もここに写真と共に掲載されています。それによると「Mietwohnhaus」とあるだけで特段の歴史や由緒は無いようです・・・でも気になるなあ(笑)

もう一つ、GoogleMapで青丸で囲ったところには「Ehemaliger Bahnhof Perleberg Süd」との記述があります。ここに「Westprignitzer Kreisringbahn(西プリグニッツ循環鉄道」の駅があったようですね。プリグニッツについてはまた別途書く機会があるかと思いますが、概ねこういう地域の概念です。

3棟の建物が連なっていますが(その左は写ってはいませんが南駅の廃墟です)右手の建物はかろうじて人が住んでいる、真ん中は廃墟、左はリノベーションされて人が住んでいますね。

所謂「廃墟マニア」ではありませんが、やはり気になります(笑)

え?・・・と妙なところに引っかかります。旧東独時代の人民公社(VEB)の名前が30年以上経った今でもそのまま残っているのです。凄いっちゃ凄いことですよね!ペンキの顔料ってそんなに長保ちするんだ!(笑)「Mecklenburger Käsewerks Hagenow」・・・チーズの工場だったようですね。

でも、なんで Mecklenburgerなんだ?この辺は Brandenburgではないのか?まあ、東独時代の行政区分は西独に統合されてからのものとは少し違っていましたからね。ここで問題です。その下に書かれている、半分消えかかっている文字群はなんと書いてあったのでしょうか?ヒント・・・milchなんてのは読めますよね?殆どヒントになっていないか(笑)

余談ですが、ペンキの顔料が長持ちするといえばこんな事例もあります。右の写真は以前にご紹介した「Dömitz」で見かけたものですが、東独時代にはなんらかの粗悪な色材で上塗りしていたものが、徐々に剥がれて以前に書かれてあった文字が浮き出てきたものと想像されます。よく目を凝らしてみると「Sparkasse der Stadt Dannenberg Agentur Dömitz」と書いてあるのが読み取れます。Dannenbergはエルベ川の対岸にある西独の町で、そこの貯蓄銀行の支店だった・・・東西分割前に書かれたものだったということが分かります。

たまにこういうのを発見すると嬉しくなりますね(笑)

町に行くには右の方に真直ぐ歩くのですが・・・ここでヤバいものを見つけてしまいます。左に行くと「DDR Geschichts-Museum(東独歴史博物館)」・・・足は自然と左に向きますね(笑)

ところで、上の質問の答えです:Betriebsteil Perleberg Sauermilchkäserei Mecklenburgの Hagenow(いずれご紹介します)に本拠を置く VEBの支所で Sauermilchを生産していたということですね。Käsereiは Molkereiともいい、所謂「乳製品加工」の工場のことです。

★★★ ペルレベルク Perleberg -3- に続きます

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