誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(40):★★デトモルト Detmold -9-

★★デトモルト Detmold -8- からの続きです

さて、ここまでにご紹介できなかった町の風景や、YouTubeの街歩き動画などをご紹介して、この町の纏めに入ろうと思います。

↓↓ Detmolder Hof 旧市街にある高級ホテル&レストランです

↓↓ 概ねこういう印象の町です。クリックするとスライドショーになります。



フェルディナント・フライリヒラートFerdinand Freiligrath

デトモルト生まれの詩人・翻訳家(1810年6月17日-1876年3月18日)。日本ではさほど知られていませんが「1843年初めの『ライン新聞』の禁止や『ドイツ年報誌』への弾圧は、フライリヒラートにドイツの自由が失われつつあると気づかせ、政治に傾斜した詩を書き始める。1844年8月、新しい詩集『信念の告白 Glaubenbekenntnis』が出版され、その詩集が表明している民主主義思想への弾圧を予期し、妻を連れてベルギーへ脱出する。ブラッセルでやはり亡命していたカール・マルクスと出会い、交友のきっかけをつくる。1845年にスイスのマイエンブルクへ移り、自作の詩(O lieb,solang du liebenkannst)に曲をつけてくれたフランツ・リストの訪問を受けている。」(Wikipediaより)と、あのマルクスやリストと親交があった人です。

↓↓ クリスティアン・ディートリヒ・グラッベChristian Dietrich Grabbe, 1801年12月11日 – 1836年9月12日)
こちらは更に日本での知名度は低いかも・・・

↓↓ スッキリ晴れると町の印象も変わります

↓↓ 駅に近い一角

↓↓ クリックするとスライドショーになります。

↓↓ ちょっと曇った日の撮影ですが、町の雰囲気がよく出ている動画です

今回から旧西独の町の紹介をスタートしましたが、こじんまりした町ではあっても「ベースにある活気」を感じられるデトモルトでした。このあたり、統一後30年が経過しても、今だに廃墟や廃墟化寸前の建物が町のあちこちに残っていたり、綺麗に修復された一方で人影や子供の騒ぐ声が消えてしまった旧東独の田舎町とは違うように感じます。この差はこれから将来埋まっていくのでしょうか?それとも・・・?

★★デトモルト Detmoldの章を終わります
シリーズ:誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte に戻ります。

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