- 2022-11-4
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引き続き Clara-Zetkin Strasse、Puschkinplatzを通り、駅の反対側にある劇場と公園を目指して歩きます。下の地図はクリックすると拡大します。
法務局の建物の隣にひときわ目立つ高層建築があります。「1929年10月11日、建築家:ハンス・ブラントの設計による 10階建ての高層ビル「ハンデルスホーフ」が竣工した。1階のファサードは、自然石で覆われている。建物にある 2つの大きな時計は注目に値するとされている。」(市の公式サイト)
ロシアの文豪「アレクサンドル・セルゲーヴィチ・プーシキン Alexander Sergejewitsch Puschkin」の名を冠した広場や通りは旧東独の至る所にあります。殆どが旧東独が国家として成立した 1949年かそれ以降に、以前の地名を改名したものと思われます。「スターリン・アレー」のような政治家の名を冠したものは体制が変わると改名されがちですが、文豪や芸術家の名前は無難なのでそのまま残されるケースが多いのでしょう。
旧東独では、1949年のドイツ民主共和国が成立して以降に、社会主義活動家や政治家、ソ連の政治家や英雄の名前を冠したものに改名された地名が増え、1990年に東西ドイツが統一を果たしてから、それを維持するのと元に戻すという考え方が発生しました。そのあたりはその町の政治状況にも左右されたと思われますが、ゲーラに関しては社会主義時代の名前が比較的多く残っているという印象です(定量的なデータが無くてすみません)Clara-Zetkin-Strasse、Friedrich-Engels-Strasse、Gagarinstrasse(ソ連の宇宙飛行士)などの有名人はもとより Franz-Mehring-Strasse、Kurt-Keicher-Strasse、Karl-Liebknecht-Strasse、Egon-Erwin-Kisch-Strasse、Bert-Brecht-Strasse、A.-S.-Makarenko-Strasse、Dr.Theodor-Neubauer-Strasse・・・などキリがありません。
「プシュキン広場は、シュロス通り、デ・スミット通り、チボリ通り、エルンスト・トラー通り、クララ・ツェトキン通りなど、ゲーラの多くの通りの交差点となっている。その広場は、市街地のはるか手前、現在の郵便局の近くにあった城門の手前まで広がっていた。この広場は、その存続期間中に名称が変わっている。当初は「ライトバーン Reitbahn」と呼ばれるだけで、いくつかの納屋を建てられていた。1786年、最初の劇場である納屋のような小さな家が建てられ、「劇場広場」と呼ばれるようになった。 1822年には、同じ場所(Schloßstraße/Clara-Zetkin-Straßeの角)に常設の劇場ビルが建てられた。キューヒェンガルテンにプロイセン劇場がオープン(1902年10月18日)すると、テアータープラッツの芝居小屋は不要になった。1906年に取り壊され、代わりに「Allgemeine Deutsche Creditanstalt」ADCAの巨大な銀行ビルが建てられた。1949年6月12日以降、「プシュキンプラッツ」と呼ばれるようになった。」(市の公式サイト)
Ernst Tollerも、反ナチスの闘士でしたが、その名前を冠した「Ernst-Toller-Strasse」は線路の向こう側に通じる地下道の手前にありますが、そこにはこんな旧東独様式のアパートが残っています。一番傷みの激しいサッシの部分は取り換えられていますが、窓枠は以前のままのように見えます。土色の外壁は旧東独に特有な色合いです。